容姿と演技力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 08:46 UTC 版)
青年時代のモリエールが盛名座を起こし、演劇に燃えていたころから悲劇役者を志し、徐々に悲劇への才能のなさを自覚し、ドン・ガルシ・ド・ナヴァールの大失敗で、ついにそれを諦めたことは先述した。モリエールは基本的に自分の生涯について何も語っていないので、悲劇を諦めた理由には様々な要因があるだろうが、その理由の1つに彼の容姿が大きく影響していたことは間違いない。 モリエールがどのような容姿を持っていたか、これはかつてモリエール劇団に所属していた団員の証言がある。1671年から子役として劇団に所属していた女優が、1740年にメルキュール・ド・フランスに以下のように語った。 モリエールは肥りすぎでも痩せすぎでもなかった。どちらかといえば背は高く、全体として品があったし、脚はすらりとしていた。歩みは重々しく、生真面目な態度。鼻は大きく、口も大きく、唇は分厚かった。顔は浅黒く、眉は黒々として太い。その眉をいろいろと動かして、実に滑稽な表情を作るのだった。 17世紀の肖像画が実際より美化して描かれていたことは有名な事実である。1740年といえば、すでにモリエールは古典喜劇の完成者として神格化されていたころであるから、その時期に公表された「鼻は大きく、口も大きく、唇は分厚い」という、美男子の特徴にことごとく反するこのような証言は信憑性が高い。このような特徴は、モリエールの敵対者にとって格好の攻撃材料であった。『女房学校』を巡って勃発した「喜劇の戦争」の際に、ブルゴーニュ劇場の俳優モンフルーリによって発表された『コンデ公邸での即興劇』から、モリエールの容姿に関する容赦ない罵詈雑言を引用する。 彼は鼻面を突き出して出てくるのです。脚はがに股、身体は斜交い、マインツのハムよりも月桂樹の葉を飾り立てたかつらは歩くたびにぐらぐら揺れて、手は体の両脇に強張ったまんま。首は荷を背負ったロバのようにがっくりして、眼はキョロキョロと落ち着かず、台詞ときたら止めどないしゃっくりで中断する始末。 これはモリエールの悲劇役者としての才能のなさを嘲笑する場面における台詞であるが、敵対者たちの中傷のなかでもひときわ悪意に満ち満ちている。特徴的なモリエールの鼻に言いがかりをつけるとともに、団員が「すらりとした」と評した脚も「がに股」と貶す。モンフルーリは当時、大げさな台詞回しで評判を取っていた悲劇役者であるが、『ヴェルサイユ即興劇』にてその朗誦法を槍玉に挙げられたために、このような記述でやり返したのだろう。 これと同様の記述が、他の敵対者の作品にも見える。 この偉そうな人物は、その顔に気前のよい男のような表情を浮かべたり、愚鈍そうな表情や、無頼漢じみた顔もする。そうかと思えばしかめっ面で、顔をくしゃくしゃにもする。豚の鼻面よりも醜い鼻を絶えず突き出すのだ。(中略)要するに、グラトラールもタバランも、トリヴェリーノも問題外。どんなにグロテスクな笑劇役者もこれほどおどけた姿形はしていなかった。 タバラン、グラトラールは1620年代頃、ポンヌフにて芸を披露していた大道芸人である。このトリヴェリーノは本来、コメディア・デラルテにおける下僕のタイプの1つであるが、ここではおそらく、フロンドの乱の勃発のためにパリを去ったイタリア劇団のドメニコ・ロカテッリを指すと思われる。3人とも際立った芸を披露して、パリの大衆に大人気であった役者である。この記述を認めた人物は、モリエールを貶すつもりでこれを書いたのだろうに、図らずも彼の表情豊かな演技ぶりを認めてしまっている。 モリエールの演技力については、『スガナレル』に注釈をつけて出版したヌフヴィレーヌなる男による記述がある。 女房の親戚の男とともに登場するこの場面(=第12景)のスガナレルが、どのような立ち居振る舞いで観客の簡単を誘ったかを描写するには、ニコラ・プッサンやシャルル・ルブラン、ピエール・ミニャールのような画家たちの絵筆の才が必要だろう。これほどまでに愚直な話しぶり、これほど愚かな顔つきは他に類を見ない。このような劇を書いた作者に対すると同じく、その作者自身がこの劇を演じているその演じ方にも、人々は驚嘆してしかるべきだ。彼ほどに自分の顔を様々に変えられる役者はいないが、この場での彼は20回以上もそれをやってのけるのである。 ここに挙げられた3人とも、全員17世紀フランスを代表する画家である。その3人の絵筆を以てしてようやく、モリエールの演技を描出出来るのだというのは、最大級の褒め言葉と言える。 生前、様々な攻撃や誹謗中傷を受け、悲劇には才能がないと散々馬鹿にされたモリエールだったが、喜劇への才能に関しては敵対者たちも認めざるを得なかった。1670年にモリエールを攻撃する目的で、シャリュッセーなる男(偽名)によって『憂鬱症に取りつかれたエロミール』なる名前の冊子が刊行されたが、この冊子には、モリエールが毎日スカラムーシュのもとに通い詰めて、鏡を手に師匠の演技を学び、模倣したとの記述がある(「晩年」項の画像参照)。スカラムーシュは大変有名であった喜劇役者で、齢80歳を超えてなお相手役の顔を足で張り倒す離れ業を演じることができたという伝説的な人物である。パリに帰ってきたばかりのモリエール劇団と、自らが率いていた劇団とでプチ・ブルボン劇場を共同使用していたことがあるため、モリエールと接点がなかったわけではない。以下は小冊子からの引用である。 鏡を手にこの偉大な人物と向き合って、道化の中の道化役者たるこの一番弟子が、繰り返しまた繰り返し、滑稽な身振り、ポーズ、百面相に何百回も挑戦していたのです。ある時は家庭内の心労を表そうと、顔に無数のしわを寄せてみたり、そのしわに青白い顔色を加えれば、哀れな亭主そのもののご面相。次に、この物悲しげな顔つきを誇張して、コキュの亭主ややきもち焼きを描いて見せました。 先述したように、この冊子はモリエールを攻撃する目的で刊行されたものであって、この記述もそれに漏れない。この記述は、モリエールがアルマンド・ベジャールとの結婚後に、彼女の放縦ぶりに悩まされたという事実を当てこすったものであるが、図らずしてモリエールの喜劇役者としての力量を示す証言となっている。モリエールは伝説的な喜劇役者・スカラムーシュと肩を並べるほどの喜劇的演技力の持ち主であったのである。
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