宇宙人に対する用法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 06:29 UTC 版)
「リトル・グリーン・マン」の記事における「宇宙人に対する用法」の解説
この言葉の使用例は、1955年の事件以前からある。例えば、イングランドでは、little green men(またはchildren)という言葉は、12世紀のウールピットの緑の子供(英語版)にまで遡る。しかし、この言葉を宇宙人に対して最初に使用したのがいつなのかについては、断定が困難であった。民間伝承の研究者Chris Aubeckは、過去の新聞記事を電子検索し、20世紀頃から緑色の宇宙人を指す数多くの例を見つけ出した。Aubeckは、1899年の『アトランタ・コンスティテューション(英語版)』から、Green Boy From Hurrah(フレーから来た緑の少年)という小さい緑色の肌の宇宙人についての記事を見つけた。ここでHurrahとは別の惑星、おそらくは火星のことである。エドガー・ライス・バローズは、1912年の彼の最初のSF小説『火星のプリンセス』で"green men of Mars"(火星の緑色の男性)と"green Martian women"(緑色の火星の女性)に言及している。しかし、その身長は10から12フィートであり、とても「リトル」とは言えない。"little green man"というフレーズを宇宙人について最初に使った例は、AubeckがDaily Kennebec Journal(メーン州オーガスタ)の1908年の記事から発見した。この例でもやはり火星人である。1910年(または1915年)には、イタリア南東部のプッリャ州に墜落した宇宙船から"little green man"が捕獲されたとされていた。 緑色の宇宙人は、すぐに一般的な地球外生命体の描写となった。1920年代から1950年代にかけてのSFパルプ・マガジンの表紙には、バック・ロジャーズ(英語版)やフラッシュ・ゴードンが緑色の宇宙人と戦っている絵がよく使われた。地球外生命体の宇宙船とリトル・グリーン・マンを具体的にリンクさせた最初の文書の例は、1938年10月31日のオーソン・ウェルズの有名な『宇宙戦争』のラジオ放送について、その後に起こったパニックを風刺する新聞記事である。コーパスクリスティ・コーラー・タイムス(英語版)の記者、ビル・バーナードによるコラムは、「水星からの13人の小さな緑色の男たちが、昨日の午後遅く、コーパスクリスティの親善訪問のためにクリフ・マース・フィールド空港で宇宙船から降りた。」という書き出しで始まり、「そして13人の小さな緑色の男たちが宇宙船に乗って飛んでいった。」という文章で終わる。この用語が特に説明もなしに使われていることは、これが宇宙船内の地球外生命体に適用された最初の例ではないことを示唆している。 1946年にハロルド・シャーマン(英語版)は、"The Green Man: A Visitor From Space"(グリーンマン:宇宙からの訪問者)というタイトルのパルプSF小説を出版した。表紙のイラストは、緑色の肌ではあるが、見た目と体型は普通の人間のものだった。1947年6月24日のケネス・アーノルド事件、同年7月のロズウェル事件により、米国内では「空飛ぶ円盤」に対する関心が高まった。ユーモア作家のハル・ボイルによる全米に配信されたコラムでは、1947年7月初めに空飛ぶ円盤に乗っていた火星から来た緑色の男について言及している。しかし、ボイルは緑色の火星人を「小さく」とは描写しなかった。 1951年、マック・レイノルズ(英語版)が"The Case of the Little Green Men"(リトル・グリーン・マンの事件)というSF小説を刊行した。この本は、人類の中に紛れて住む宇宙人を調査するために雇われた私立探偵を題材としている。作中の探偵は空飛ぶ円盤の宇宙人のことを、嘲るように親しみを込めて"little green men"と呼んでいる。表紙のイラストでは、古典的なアンテナが頭から突き出ているリトル・グリーン・マンが描かれている。マック・レイノルズは、1968年に最初の『スタートレック』の小説(Mission to Horatius)を書くことになる。 1950年の初頭、「空飛ぶ円盤が墜落して、乗っていた小さな人間が回収された」という話が新聞で物語に載り始めた。その大部分は虚偽だと考えられていたが、宇宙人についての話の一部は、雑誌『バラエティ』のコラムニストであるフランク・スカリー(英語版)による1950年の本Behind the Flying Saucers(空飛ぶ円盤の背後)に掲載され、この本は人気となった。 1950年6月、カンザス州ウィチタの新聞にて、空飛ぶ円盤を目撃したという人は、「髭をはやした小さな緑色の男は絶対に見ていない」と述べた。 同様に、電子検索では、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストで少なくとも1951年まで(ワシントン・ポストでは、ミステリー・SF小説の書評が"Little Green Man"と呼ばれていた)、ロサンゼルス・タイムズ、シカゴ・トリビューンでは1952年まで(シカゴ・トリビューンでは、「ピンク色の水玉模様のリトル・グリーン・マン」を使って空飛ぶ円盤の目撃談を嘲笑している)、SFや空飛ぶ円盤について言及するときに「リトル・グリーン・マン」という言葉が使用されていたことが示されている。ニューヨーク・タイムズでこの言葉が使われた次の例は、1955年の『火星人ゴーホーム』というSF風刺小説の書評である。そこでは、火星人が、「予言されていた通りの」見た目の不快な「リトル・グリーン・マン」として描かれている。 その後の例では、1957年11月に全国的に公開されたUFOの目撃情報に続いて、ワシントン・ポストのコラムニストFrederick Othmanが次のように書いている。「新しい空飛ぶ円盤の流行。この国の全てが再び空飛ぶ円盤だらけだ。……これまでのところ、天体の乗り物からリトル・グリーン・マンは現れてはいないが、数日中に現れたとしても私は驚かないだろう。……」
※この「宇宙人に対する用法」の解説は、「リトル・グリーン・マン」の解説の一部です。
「宇宙人に対する用法」を含む「リトル・グリーン・マン」の記事については、「リトル・グリーン・マン」の概要を参照ください。
- 宇宙人に対する用法のページへのリンク