女性思想
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上述のように、真葛は9歳のとき「女の本とならばや」と決意したが、それは同時に「女は人にしたがうもの」という当時の通念や支配的言説にしたがって生きることでもあった。その姿勢は、夫只野行義にあてた手紙に「これよりはいくひさしく御奉公申し上げ候」と記したり、婚家の生活についても、『とはずがたり』のなかで「国ふうたがえず、ことに家の法かたく守りてやぶらず」と述べたりしているところから、基本的には変化がなかったものと考えられる。しかし、その姿勢を貫き通すことについては精神的な痛みをともなった。奥女中奉公では「独りづとめ」の心得で仕事にあたること、また、仙台で夫の留守を守る結婚当初の暮らしのなかでは香蓮尼を手本とすることなど、「女の本」となるための道を模索しつづけた。 そして、なぜ女は人にしたがわなければならないのかについて思索をめぐらせた。この疑問に対する答えとして真葛がヒントにしたのは『古事記』における国生み神話であった。そこでは、男神イザナギが「わが身はなりなりてなり余りしところひとところあり」、女神イザナミが「わが身はなりなりてなりあわざるところひとところあり」とたがいに自分の身体的特徴を述べあう下りがある。これによって真葛は、「この世に人の生い初めし時、身内を尋ねて成り余りしと覚ゆるは男、成り足らぬと覚ゆるは女なり」という観念を獲得し、こうした身体的差異は心のあり方を左右するものだととらえる。 具体的には、禅僧が修行のため羅切(陰茎切り)することを女性ならば「潔い」と感じるであろうが、男性はたまらないであろうし、女性器に蛇が侵入するのを男性は何とも思わないだろうが女性は身の毛のよだつ思いがする。俳優の女形が仕草かたちや言葉づかいが女性のようであっても、現実の女性が決して喜ばないような行動をとるのは、身体的差異に由来する心のありようが実際の女性とは異なるからだと考える。そしてまた、「才智のおとり勝ることはあるとも、なべて常の心に、余れりと思う男に、足らずとおぼゆる女の、いかで勝つべき」と記し、常に心に余裕をもつ男性に対し、常に心理的に不全感をかかえた女性は結局かなうものではないとして「女は人にしたがうもの」という考え方の根拠を以上述べたような身体性に求めるのである。 しかしながら、真葛は、 孔子聖の女子小人は我知らずとのたまえりしとかや。われも女子なり。いざその聖のしらせ給わぬほどを、さて申さめ。 として、女性としての自分の立場を語調強く訴える。そして、女子と小人は扱いがたいと記す孔子をして「心行き届かぬ」と述べ、みずからの教化不足を棚にあげて女子小人取るに足らないと見下すところが一番人に受け入れやすいと手厳しく批判する。そして、儒教道徳は、表向きの飾り道具であり、門外に置くべきものなのであって、「道具がぶきよう」なため怪我をすることがあるから、「家事」には用いるべきではないとする。さらに、 このくだりは無学む法なる女心より、聖の法を押すいくさ心なり。…世にいきいきとしたる愚人ばらは、遠き昔のよそ国の聖のことは、むずかしと聞きつけず、聖人の味方するほどの男づらは、いけすかぬと、わかき女どもはにくむべし。よし女にはすかれずとも、いづくまでも聖の御心ざしは、さにあらずとおしかかるともがらもあるべし。その勝劣は人々の好きずきにこそあらめ。聖に愚の勝つことあるまじけれど、聖上の人は大かた力弱く身あわし。下愚の人はなべて力強ければ、一と勝負してみたきこころいきあらんか。 として「無学む法の女心」から「聖の法」(儒教道徳)への闘争の意志を表明している。 また、「身内をたずねて余れり足らずと思うをもて考うれば、人の心というものは陰所を根としてはえわたるものなりけり」と述べ、人間心理の根にあるものは陰部であるとする。さらに彼女は性行為を「男女あい逢うわざ」と表現し、「心の本をすりあわせて勝ち負けを争う」ものだとし、「あい逢うわざ」をふくむ恋路においては男性も「弱き女になげらるることあり」として男女の勝敗は必ずしも一方的ではないとしている。 このように真葛は、いったんは女性の従属性を認めながらも、あい争う人間の本性という点では男女ともに同等であり、また、恋路においては、とらわれのない女性の方が勝つこともある として、家父長制的な儒教の教えや規範に異を呈し、また、儒教道徳における善の無力性を指摘することで、そのような規範にとらわれずに自由に自分の意思を実行に移せる「下愚の人」あるいは「無学む法なる女」が勝利する可能性を論じているのである。
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