太平洋戦争〜緒戦〜
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「比叡 (戦艦)」の記事における「太平洋戦争〜緒戦〜」の解説
高速戦艦として生まれ変わった比叡は、まず1940年(昭和15年)10月11日における紀元二千六百年特別観艦式における御召艦(昭和天皇座乗艦)として小改造を施され、同式典に参加した。昭和天皇、皇族軍人、山本五十六連合艦隊司令長官(紀元2600年式典特別観艦式指揮官)、及川古志郎海軍大臣等が乗艦した比叡は重巡洋艦3隻(先導艦〈高雄〉、供奉艦〈古鷹、加古〉)とともに観艦式を遂行した。同年10月22日、比叡艦長は阿部孝壮大佐から有馬馨大佐に交代した。11月1日、第三戦隊司令官は南雲忠一中将から小沢治三郎少将(当時第一航空戦隊司令官)に交代。12月1日、比叡は第三戦隊に編入された。 当時、戦艦は敵戦艦と白昼に長距離砲戦をする前提で考えられていたが、金剛型戦艦4隻(金剛、比叡、榛名、霧島)は大改装で約30 ktという高速を得ており、それを生かすため、艦隊決戦において「積極的に夜戦にも投入したら」という意見が出て来た。重巡洋艦に同行し、重巡洋艦同士の夜戦に際し味方が狙いを定めるための援護として36cm砲の星弾を敵の頭上に打ち上げるのである。また重巡洋艦がサーチライトを照射し目標を戦艦に示すことも考えられた。特に、当時の第三戦隊司令官小沢治三郎少将(昭和15年11月〜昭和16年9月)は、きたるべき日米戦争は局地戦の連続になると想定。第三戦隊をあらゆる局面に積極的に投入するため『万事駆逐隊並に扱う位のつもりで鍛え上げておかねばならない』と訓戒した。 1941年(昭和16年)4月5日、高松宮宣仁親王(比叡砲術長、前年11月15日に中佐進級)は横須賀海軍航空隊教官に任命され、比叡を退艦した。当時、昭和天皇は日米開戦を懸念しており、また秩父宮雍仁親王も肺結核に罹患していた。高松宮の人事は「弟宮をなるべく東京に」という天皇の意向であった。9月6日、第三戦隊司令官は小沢治三郎中将(補海軍大学校校長。10月18日より南遣艦隊長官)から三川軍一中将(当時第五戦隊司令官)に交代。 本艦は金剛型4番艦霧島とともに第三戦隊第一小隊(比叡、霧島)を編成、第八戦隊(利根型重巡洋艦:利根、筑摩)とともに第一航空艦隊(通称、南雲機動部隊)の支援部隊を形成した。機動部隊に随伴できる速力を持つため、アメリカ軍水上部隊に襲撃された場合は36cm砲で撃退し、また空母が損傷した場合は曳航することが期待されていた。12月8日、真珠湾攻撃を行う第一航空艦隊(司令長官南雲忠一中将、参謀長草鹿龍之介少将)の空母6隻(第一航空戦隊〈赤城、加賀〉、第二航空戦隊〈蒼龍、飛龍〉、第五航空戦隊〈翔鶴、瑞鶴〉)を、第三戦隊第1小隊(比叡、霧島)、第八戦隊(利根、筑摩)、警戒隊(指揮官大森仙太郎第一水雷戦隊司令官:軽巡洋艦〈阿武隈》、第17駆逐隊〈谷風、浦風、浜風、磯風〉、第18駆逐隊〈不知火、霞、陽炎、霰〉、駆逐艦秋雲)と共に護衛する。12月24日、日本に戻った。 1942年(昭和17年)1月8日、トラック泊地へ向けて出港した。南雲機動部隊はラバウル空襲、オーストラリアのポート・ダーウィン空襲を行い、第三戦隊第1小隊(比叡、霧島)も同行する。2月8日、第三戦隊第1小隊(比叡、霧島)を含む機動部隊ごと南方部隊に編入され、2月16日に第2小隊(金剛、榛名)と合流し金剛型戦艦4隻が揃うことになった。2月下旬、南雲機動部隊はオーストラリア方面に脱出する連合軍艦艇の捕捉撃滅を命ぜられ、第八戦隊(利根、筑摩)とともにジャワ島南方海域を警戒した。3月1日午後5時46分、比叡は逃走するアメリカの駆逐艦エドサル(DD-219 Edsall)を発見し、距離25kmの敵艦に対し前部36cm砲で砲撃した。八戦隊(利根、筑摩)も砲撃したがエドソルには命中せず、比叡が発進させた九五式水上偵察機の爆撃も失敗、比叡は午後6時25分に砲撃を中止する。苛立った南雲中将は空母2隻(加賀、蒼龍)に九九式艦上爆撃機による爆撃を命じた。午後6時35分から艦爆が攻撃し、エドソルは大破した。比叡は16kmまで接近すると、副砲射撃で午後7時にエドソルを撃沈し、これが太平洋戦争において戦艦が敵艦を沈めた最初となった。後にアイオワ級戦艦ニュージャージー(USS New Jersey, BB-62)もトラック島空襲で駆逐艦野分(第4駆逐隊)を目標として砲撃した時、同じような体験をしている。日本軍の東南アジア占領を見届けた第三戦隊は3月11日から3月25日までスターリング湾に停泊したあとインド洋へ進出、セイロン沖海戦に参加した。4月24日、日本に戻った。
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