竹田城
別名:竹田城跡、虎臥城、安井ノ城、天空の城、日本のマチュピチュ
兵庫県朝来市にある、標高353メートルの古城山の頂上に位置する城跡。国内最大級の山城である。1943年に国の史跡に指定され、2006年には、日本城郭協会が定めた「日本100名城」の一つに数えられた。
竹田城周辺では秋から冬にかけて、早朝に朝霧が発生することがあり、雲海に包まれた城の姿がさながら「天空の城」に見えるとされている。また、同じく空中に浮かんだように見える、インカ帝国のマチュピチュ遺跡になぞらえて、竹田城は「日本のマチュピチュ」と呼ばれることもある。
竹田城は、室町時代に築城されたといわれており、山名氏の重臣である太田垣氏が代々城主を務めた。1569年に当時の竹田城主、太田垣輝延は、当時勢力を強めていた織田信長に対してひとたび帰順したが、その後織田氏と敵対する毛利氏と同盟を結んだ。そのため、1577年に竹田城は織田信長臣下の羽柴秀吉・羽柴秀長軍に攻められて落城し、城主の太田垣氏は没落することとなった。その後、桑山重晴、赤松広秀が城主を務めたのち、江戸時代に入ると竹田城は廃城となった。
2000年代に入ると、竹田城はテレビ番組で紹介されたり、映画の舞台になったりしたことから観光客の人気を集め、2012年と2013年には年間20万人を超える観光客が訪れた。観光客の急増に伴い、史跡の保全や施設の維持管理に必要な負担が増加したことから、朝来市は2013年に竹田城の観覧料を徴収する条例を制定し、同年10月から徴収が行われるようになった。また、山上に続く道路の慢性的な混雑が問題となったことから、通行規制も行われるようになった。
関連サイト:
竹田城跡の概要案内 - 朝来市
天空の城
天空の城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/14 07:02 UTC 版)
天空の城(てんくうのしろ 英:CASTLE IN THE SKY)とは、一部の山岳部にある城郭跡の雅称。雲海が発生すると空に浮かんでいるように見えるなどして[1]あたかも天空に浮かんでいるような景観を見せるものを観光PRの観点から呼ぶことがある。
「天空の城」と呼ばれるもの
日本



近畿地方
中部地方
中国地方
- 備中松山城 - 岡山県高梁市[4]
- 鬼ノ城 - 岡山県総社市
- 米子城 - 鳥取県米子市にある山城跡。現在も天守台からは大山、日本海、島根半島、隠岐、中海を一望できる360度のパノラマが広がる「海に臨む天空の城」である[5]。
- 月山富田城 - 島根県安来市にある山城跡。
- 津和野城 - 島根県津和野町
九州地方
アジア
- アレッポ城 - シリア[6]
- クラック・デ・シュヴァリエ - シリア[7]
- ウチヒサル城 - トルコ[8]
- ルメリ・ヒサル - トルコ[9]
- シーギリヤ - スリランカ[10]
- メヘラーンガル城 - インド[11]
- バルチット・フォート - パキスタン[12]
- 万里の長城 - 中国[13]
- ポタラ宮 - 中国[14]
- 白帝城 - 中国、四川省
ヨーロッパ
- ドーバー城 - イギリス[15]
- ハーレック城 - イギリス[16]
- リンディスファーン城 - イギリス[17]
- ダノター城 - イギリス、スコットランド[18][19]
- エディンバラ城 - イギリス[20]
- ゴルド - フランス
- フォワ城 - フランス[21]
- ケリビュス城 - フランス[22]
- ベナック城 - フランス[23]
- オークニクスブール城 - フランス[24]
- チヴィタ - イタリア
- チロル城 - イタリア[25]
- トッレキアーラ城 - イタリア[26]
- サン・レーオ城 - イタリア[27]
- チヴィタ・ディ・バーニョレージョ - イタリア[28]
- ノルマン城 - イタリア[28]
- カステル・デル・モンテ - イタリア[29]
- グアイタ城 - サンマリノ、ティターノ山[30]
- マルクスブルク城 - ドイツ[31]
- ノイシュヴァンシュタイン城 - ドイツ[32]
- ホーエンツォレルン城 - ドイツ[33]
- ガイヤール城 - ドイツ[34]
- ペナ宮殿 - ポルトガル[35]
- カルドナ城 - スペイン[36]
- モレーリャ城 - スペイン[37]
- セゴビア城 - スペイン[38]
- リンドスのアクロポリス - ギリシャ[39]
- スピシュスキー城 - スロバキア[40]
- ホッホオスターヴィッツ城 - オーストリア[41]
- ホーエンヴェルフェン城 - オーストリア[42]
- スワローズ・ネスト - ウクライナ[43]
南アメリカ
創作物
脚注
- ^ a b c d e “「天空の城」各地でPR合戦 兵庫・竹田城が火付け役”. 日本経済新聞 (2014年9月22日). 2018年4月21日閲覧。
- ^ “天空の城 雲海に浮かび、朝の光に輝く 兵庫・竹田城”. 毎日新聞 (2016年12月5日). 2018年4月21日閲覧。
- ^ 城郭談話会2016.
- ^ “備中松山城 「天守の残る唯一の山城」はなぜ生き延びたのか”. 朝日新聞 (2015年3月19日). 2018年4月21日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 濱野2019, 183ページ.
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 154ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 158ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 162ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 166ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 170ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 174ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 178ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 182ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 186ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 82ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 86ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 90ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 94ページ
- ^ パイインターナショナル『世界の断崖おどろきの絶景建築』パイインターナショナル、2018年、18頁。ISBN 978-4-7562-5008-7。
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 98ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 70ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 66ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 74ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 78ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 22ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 26ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 30ページ
- ^ a b 水野久美『世界の天空の城』 34ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 42ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 18ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 46ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 50ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 54ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 62ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 114ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 102ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 106ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 110ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 118ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 58ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 10ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 14ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 122ページ
- ^ 水野久美『世界の天空の城』 150ページ
参考文献
- 水野久美『世界の天空の城』青幻舎、2016年。ISBN 978-4-86152-572-8。
- 城郭談話会 編『但馬竹田城 : 雲海に浮かぶ天空の山城』戎光祥出版〈城郭研究の新展開 1〉、2016年。 ISBN 978-4-86403-216-2。
- 濱野浩美「史跡米子城跡の最新発掘調査成果]」『中世城郭研究』第33号、中世城郭研究会、2019年、183-190頁、 ISSN 0914-3203、2020年3月12日閲覧。 - 『馬出を考える : 定義と分布』[第35回 全国城郭研究者セミナー(2018年8月4日開催)]における同タイトルの報告を活字化したもの。
関連項目
天空の城(てんくうのしろ)
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「将棋用語一覧」の記事における「天空の城(てんくうのしろ)」の解説
将棋においては玉やその守備駒の配置を表す用語で通常は自陣、つまり一段目~三段目にある玉の周辺の守備駒いわゆる「囲い」は「城」に喩えることもあるが、そのはるか上空である四段目~六段目、つまり天空に存在することを表す。
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