ドーバー城とは? わかりやすく解説

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ドーバー‐じょう〔‐ジヤウ〕【ドーバー城】

読み方:どーばーじょう

Dover Castle英国イングランド南東端ケント州都市ドーバーにある城。古代ローマ時代より灯台置かれ12世紀ノルマン朝要塞築かれた。第二次大戦においても重要な戦略拠点になり、当時作られトンネル残っている。

ドーバー城の画像
撮影・Neville10 http://os7.biz/u/pVzZG

ドーヴァー城

(ドーバー城 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/01 22:11 UTC 版)

ドーヴァー城
Dover Castle
イングランドケント港湾都市ドーバー
上空写真
座標 北緯51度07分47秒 東経1度19分17秒 / 北緯51.1297度 東経1.3214度 / 51.1297; 1.3214座標: 北緯51度07分47秒 東経1度19分17秒 / 北緯51.1297度 東経1.3214度 / 51.1297; 1.3214
種類 ノルマン様式城郭
施設情報
所有者 イングリッシュ・ヘリテッジ
現況 現存
歴史
建設 12世紀
建設者 ヘンリー2世
主な出来事 第一次バロン戦争

ドーヴァー城(ドーヴァーじょう、ドーバー城[1]: Dover Castle)は、イギリスのケント港湾都市ドーバーにある城である。 11世紀に建設され、歴史を通じてその戦略的な重要性から「イングランドへの鍵」と呼ばれた[2][3][4]ウィンザー城と並んで、イングランド最大の城砦とされる[5]

歴史

鉄器時代

この城砦の基礎が中世の様式と一致しないことから、ドーヴァー城がローマの侵入以前、鉄器時代またはそれ以前の構造物を起源としている可能性が指摘されている。発掘調査では、城の敷地内から鉄器時代の痕跡が発見されたものの、現在のドーヴァー城との関係性は不明である[6]

ローマ時代

ローマ時代に建築された灯台

ドーヴァー城内にはローマ時代に建造された灯台が今も残っている。ローマ帝国によって作られた灯台は世界に3基しか残存せず、これはそのうちの1つであり、イングランドに残るローマ時代の建築物の中で最大かつ、最も保存状態が良い[7][8]。 城の灯台は、サクソン時代(1000年頃)に鐘楼に改築された後も継続的に利用され続けてきた。1430年頃に上層が増築され、また1913年から1915年に部分的に改装された[9]

サクソン時代と初期のノルマン朝

1066年10月のヘイスティングスの戦いの後、 ウイリアム1世とその麾下の親衛隊は戴冠式のためにウェストミンスター寺院に向かったが、その際に彼らはロムニー 、ドーバー、カンタベリーを経由した。1050年五港連盟の創設以来、ドーバーは常にその盟主であった[10]。1088年、ウィリアム2世の時代にドーヴァー城を守るためにウィリアム・ド・アルブリンシス、フルベルル・デ・ドーヴァー、ウィリアム・ド・アルシック、ジョフリー・ペベレル、ウィリアム・マミノット、ロバート・ドュ・ポート、ヒュー・クレヴェコール、アダム・フィッツ・ウィリアムら8名の騎士が任命されたと伝えられている[10]

ヘンリー2世の時代から近世へ

ドーヴァー城が現在に近い形となったのはヘンリー2世の治世中である。内郭、外郭そして主塔がこの時代に築かれた。建築はモーリスという名の技術者によって行われたとされている[11]。1179年から1188年にかけて、ヘンリー2世は歳入の1万ポンドのうち6500ポンド以上をこの城の建築に費やした[12]

1216年の第一次公伯戦争の際、フランスの王太子ルイはイングランドを攻撃すべくドーヴァー城を包囲したが、最終的に城を占領することはできなかった[13] 。13世紀後半、現在のタワー22に風車が建設され、それ以降風車塔と呼ばれることとなった[14]。その後、ヘンリー8世は城の防御装備を火薬兵器に改修した [15]

イングランド内戦中、ドーヴァー城は国王派の支配下にあったが、1642年に議会派によって奪取された[16]

戦時中、トンネル内部に建設された第二次世界大戦の沿岸砲兵作戦室

ナポレオン戦争時代

18世紀の終わり、ナポレオン戦争の最中、ドーヴァー城は大規模な再建が行われた。南方司令部の指揮官であったウィリアム・ツイスは、町の防御を向上するための施策の一つとして、ドーヴァー城の外壁を強化し、東側の位置と西側には監視用の保塁を建設した。城の防御と町の防御をつなぐキヤノンのゲートウェイもこの時期に建設された[17]ドーバー英国軍の駐屯地になるにつれて、増え続ける軍人のための兵舎と倉庫が必要となった。ツイスは解決策として、崖の下約15メートル下にトンネルを掘り、そこに兵舎を設置した[17]。風車塔は英米戦争の最中に取り壊された[14]。ナポレオン戦争の終わりに、トンネルは部分的に改造され、密輸を取り締まる沿岸防衛隊によって使用されたが、その後、トンネルは1世紀以上打ち捨てられたままとなった[18]

第二次世界大戦中

1939年の第二次世界大戦の勃発により、かつてツイスにより掘られたトンネルは最初に空襲の避難所となり、その後、地下病院を備えた軍事司令センターに改装された。1940年5月、バートラム・ラムゼー提督は、崖のトンネルにある本部から、ダンケルクからフランスとイギリスの兵士を撤退させる「ダイナモ作戦」の指揮を取った[18]。 この作戦の成功およびドーバー防衛の成功をたたえ、ラムゼイ提督の像がトンネルの外に立っている [19]

改装されたゲストホール

戦後

戦後、トンネルはRGS(核戦争に備え、政府機能を地方に分散させる英国政府の戦略)の一環として核シェルターとする計画が浮上したが、地質的に放射能を防ぐ十分な効果がないことから断念された[20]。2007年から2009年の間に、イングリッシュ・ヘリテッジは245万ポンドを投じて城の内装を修復した[21]。観光客協会の発表によると、2022年には22万4782 人もの人びとがドーヴァー城を訪れた [22]

脚注

  1. ^ ドーバー城”. コトバンク. 朝日新聞社. 2021年1月2日閲覧。
  2. ^ Kerr, Nigel (1984). A Guide to Norman Sites in Britain. Granada. p. 44. ISBN 0-586-08445-2 
  3. ^ Broughton, Bradford B. (1988). Dictionary of Medieval Knighthood and Chivalry. Greenwood Press. p. 102. ISBN 0-313-25347-1 
  4. ^ Cathcart King, David J. (1983). Catellarium Anglicanum: An Index and Bibliography of the Castles in England, Wales and the Islands. Volume I: Anglesey–Montgomery. Kraus International Publications. p. 230 
  5. ^ 10 Largest Castles in the World”. 2019年3月3日閲覧。
  6. ^ National Monuments Record. “MONUMENT NO. 468006”. English Heritage. 2014年2月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月23日閲覧。
  7. ^ The Roman Pharos at Dover Castle” (英語). Google Arts & Culture. 2019年4月8日閲覧。
  8. ^ Roman Lighthouse, Dover”. Lonely Planet. 2020年3月2日閲覧。
  9. ^ The Roman Lighthouse, Dover, Kent”. The Journal of Antiquities (2013年5月12日). 2018年6月5日閲覧。
  10. ^ a b Hasted (1799年). “The History and Topographical Survey of the County of Kent”. Simmons and Kirkby. p. 61. 2018年6月5日閲覧。
  11. ^ Prestwich, Michael (1999). Armies and Warfare in the Middle Ages. Yale University Press. p. 285. ISBN 0-300-07663-0 
  12. ^ Dr, Jeffrey L. Forgeng; Forgeng, Jeffrey L.; Singman, Jeffrey L. (1999) (英語). Daily Life in Medieval Europe. Greenwood Publishing Group. p. 109. ISBN 9780313302732. https://books.google.com/books?id=SOdNT0xFnJsC&dq=&redir_esc=y 
  13. ^ Dover Castle and the Great Siege of 1216”. De Re Militari (2014年4月28日). 2018年6月5日閲覧。
  14. ^ a b Coles Finch, William (1933). Watermills and Windmills. London: C W Daniel Company. p. 196 
  15. ^ Dover Castle - Moat’s Bulwark”. Dover – Kent. 2018年6月5日閲覧。
  16. ^ Civil War in the South-East 1642”. British Cilil War Project. 2018年6月5日閲覧。
  17. ^ a b Dover Castle”. Kent Past. 2018年6月5日閲覧。
  18. ^ a b Dover Castle: Sectret Wartime Tunnels”. Beyond the Point. 2018年6月5日閲覧。
  19. ^ Admiral Sir Bertram Ramsay Archived 25 March 2015 at the Wayback Machine. at www.dover-kent.co.uk
  20. ^ Dover Castle”. www.dovertowncouncil.co.uk. 2013年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年7月25日閲覧。
  21. ^ King's lavish castle is brought to life, BBC News, (31 July 2009), http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/8177876.stm 2011年3月7日閲覧。 
  22. ^ ALVA - Association of Leading Visitor Attractions”. www.alva.org.uk. 2019年8月24日閲覧。

関連文献

  • Coad, Jonathan (1995). Book of Dover Castle and the Defences of Dover. B. T. Batsford. ISBN 0-7134-7289-8 
  • Jeffrey, Kate (1997). Dover castle. English Heritage 

関連項目

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