大和民族と先住・少数民族とは? わかりやすく解説

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大和民族と先住・少数民族

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:58 UTC 版)

日本」の記事における「大和民族と先住・少数民族」の解説

古代日本多民族国家であった考えられている。国の史書からも、大和民族のほかに、南九州には熊襲隼人)、中九州には肥人近畿地方関東地方には国栖関東地方東北地方には蝦夷などがいた事が伺える。しかしこれらの部族民族具体的にどの人種・民族集団属するかは緒論あり確定的定説はない。 古墳時代本州四国北部九州各地方のうち、瀬戸内海周辺地域主とする人々は、大和盆地本拠地とするヤマト王権のもとに統一され倭人和人としての文化形成する飛鳥時代律令国家日本の国号大和朝廷確立に伴い和人文化的一体性がより糾合された。その後朝廷支配下に入るのが遅れた北東北蝦夷)、南九州熊襲隼人)の人々同化しながら文化圏拡大続け平安時代まで本州四国九州の全域和人の生活範囲となった江戸時代には、薩摩藩による琉球王国への侵攻松前藩アイヌ支配確立により、北海道を含む日本列島南西諸島全域和人勢力圏置かれた。これらの辺境地域は、弥生時代以降連綿として、本土との間で物的人的交流盛んに維持されてきた一方で政治的枠組みとしては、「蝦夷地」と総称され現在の北海道千島列島樺太南部日本編入されたのは実に明治2年1869年)の事であり、それまで南部渡島)の和人それ以外アイヌ民族広く居住するであった所、明治以降開拓急速に和人との同化進んだまた、琉球侵攻により保護国立場置かれながらも、独自の国家体裁保ち続けていた琉球王国のかつての版図南西諸島のうち奄美群島沖縄諸島および先島諸島)は、1879年明治12年)の琉球処分により名実ともに日本編入または併合奄美群島鹿児島県編入沖縄先島諸島には沖縄県設置された。これ以降急速に日本近代化政策組み込まれていくことになる。 現在、アイヌ語第一母語とする人々極めて少ないが、アイヌ文化振興法制定されアイヌ文化保存再興図られている。なお、アイヌと共に南樺太にいたウィルタニヴフ多くは、ソビエト侵攻占領の後北海道本州移住したまた、小笠原諸島には、19世紀初頭ハワイからの移民団が史上初め定住し欧米系島民ヨーロッパ系アメリカ人ハワイ人)による小規模なコロニー形成されたが、明治維新の後に日本による領有確定する順次、彼らも日本国籍取得して日本人社会溶け込んでいった。 なお、アイヌ民族は、和人との交流の中で、中世から近世にかけて成立したとされるが、成立詳細な過程については不明な点が多い(詳細アイヌの項目を参照のこと)。

※この「大和民族と先住・少数民族」の解説は、「日本」の解説の一部です。
「大和民族と先住・少数民族」を含む「日本」の記事については、「日本」の概要を参照ください。

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