大和民族の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:58 UTC 版)
「日本人#系統」も参照 遺伝子構成(大和民族) 東アジア系 (89%) オーストロネシア系 (7%) フィン・ウゴル系 (2%) 中央アジア系 (2%) 日本列島の住民のうち、殆どを構成しているのが大和民族である。大和民族の起源は、縄文時代以前から定住していた「縄文人」と、ユーラシア大陸から弥生時代以降に複数回にわたって移住してきた「弥生人」が融合して形成されたものである。移住してきた経路は時代によって異なる。 最初に主流になったのは、沖縄・南九州・北東北地方に多い縄文人である。この時期、日本海経路で小規模ながら交易がおこなわれていたことが出土品から証明されている。その後、稲作文化とともに大陸からやってきた人々が、北九州から中部地方に多い弥生人の基盤となった。日本列島に移住してきた経路や、規模、時期の詳細については、定かでない部分が多く、諸説ある。 縄文人と弥生人では身体的特徴に違いがある。縄文人は古モンゴロイドに属し、目が丸く大きい、彫りが深い、骨太で筋肉質、歯が短い、髪が癖毛、ヒゲと体毛が濃い、耳垢が湿っている、などの特徴を持つ場合が多い。弥生人は新モンゴロイドに属し、目が細く小さい、彫りが浅い、長身ですらっとした体格、歯が長い、髪が直毛、ヒゲと体毛が薄い、耳垢が乾いている、などの特徴を持つ場合が多い。 島国という地理的な特性から、その後も日本には小規模な移住(漂着や密航など)が何度も繰り返された。また、近代までの日本は鎖国時代を除いて移民・難民の受け入れには比較的寛容でもあった。16世紀中盤から17世紀中盤にかけては衰亡する明から逃れてきた難民を多数受け入れ、開国後の19世紀後半以降にも清、李氏朝鮮、ロシア帝国からの移民・難民を大量に受け入れていった。 こうして縄文人、弥生人(大陸人)、オーストロネシア人(ポリネシア人、マレー人など)といった複数の民族が互いに混血し、文化を取り込みながら発展したと推測される。それらの中から最大勢力として発展してきたのが自称として「和人」、あるいは近代的な民族意識の下で「大和民族」あるいは「日本民族」である。
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