大和海軍航空隊
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昭和18年頃より予備工事が始まり、19年から近隣の勤労奉仕や朝鮮人を動員して急速設営された柳本飛行場で開かれた。開隊に先立って、要員は空路で柳本に到着している。本土決戦時に紀伊半島への上陸を警戒した海軍は、第三航空艦隊司令部を柳本に進出する計画を持っていたといわれる。 昭和20年(1945年) 2月11日 開隊。第十一連合航空隊に編入。 5月5日 十一連空解散、第十三航空戦隊に転籍。 終戦後解隊。 7月には柳本に戦闘機隊が進出し、乙飛行隊の近畿海軍航空隊司令部が置かれるなど、柳本は増強の一途をたどっていた。大和空の訓練も特攻主体となっており、稼動するわずかな機体は特攻用に温存される状況の中で終戦を迎えた。三航艦に続き、大本営海軍部の進出計画もあったといわれる。
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