大会ハイライト
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「シドニーオリンピック」の記事における「大会ハイライト」の解説
柔道で田村亮子が悲願の金メダルを獲得。他にも柔道では2大会連続金メダルの野村忠宏をはじめ、井上康生や瀧本誠らが金メダルを獲得した。一方、篠原信一が決勝で審判の誤審により銀メダルになるというトラブルも起こった。 マラソンでは、高橋尚子が日本の女子陸上競技として初の金メダルを獲得(オリンピック新記録)。女子マラソン中継の平均視聴率が40%を超えるなど日本中で話題になり、国民栄誉賞となった。 野球においてプロの参加が認められ、アメリカ、韓国、オーストラリアなどがプロ主体のメンバーで参加した。日本はプロ側の足並みが揃わず、8球団が1名ずつ派遣するプロアマ混成チームであった。日本は1次リーグを勝ちあがったものの準決勝でキューバに、3位決定戦で韓国にも敗れて4位となりメダルを逃した。 サッカーはフィリップ・トルシエがA代表監督を兼任する形で率い、メンバーの大半がA代表でプレーしていた上に各年代の大会で好成績を収めていたこともあって前評判も高く、南アフリカ・スロバキア・ブラジルと同組になったグループリーグで2勝1敗の2位で勝ち上がり、銅メダルを獲得したメキシコシティオリンピック以来32年ぶりの決勝トーナメント進出を果たした。アメリカとの準々決勝ではPK戦までもつれ、4人目の中田英寿が外してベスト8で敗退となった。なお、この試合の中継がすべての競技を通じて最高の視聴率(42.3%)を獲得した。 男子レスリングのグレコローマンスタイル130kg級では、ルーロン・ガードナーが決勝でアレクサンドル・カレリンを破って金メダルを獲得した。カレリンは1987年から続いた国際大会無敗の記録が途絶え、カレリンのオリンピック4連覇はならなかった。 メルボルンオリンピックでは馬術が検疫期間の関係でスウェーデンのストックホルムで開催されたため、全競技がオーストラリアで開催されたわけではなかった(参照)。しかし、この大会では検疫技術の進歩等もあり2週間での検疫が可能になったことから、全ての競技がオーストラリア国内で開催された。全競技がオーストラリア(そして南半球)で開催されたのは、この大会が初めてとなった。
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大会ハイライト
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「アトランタオリンピック」の記事における「大会ハイライト」の解説
マイケル・ジョンソンが男子陸上200mを19秒32の世界記録(当時)で制した。 日本勢は田村亮子が柔道決勝で北朝鮮のケー・スンヒの柔道着を左前に着けるという奇策の前に敗れ、バルセロナに続き銀。また、ヨットでは女子470級で重由美子、木下アリーシア組が日本ヨット界史上初のオリンピックメダルを獲得した。自転車競技では十文字貴信が1000mタイムトライアルで銅メダルを獲得した。陸上女子マラソンでは有森裕子が前回のバルセロナオリンピックに続いてメダルを獲得した。また男子サッカーは1次リーグでブラジルを破る(マイアミの奇跡)など2勝1敗としたが、リーグ敗退となった。
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大会ハイライト
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「2000年シドニーオリンピック」の記事における「大会ハイライト」の解説
柔道で田村亮子が悲願の金メダルを獲得。他にも柔道では2大会連続金メダルの野村忠宏をはじめ、井上康生や瀧本誠らが金メダルを獲得した。一方、篠原信一が決勝で審判の誤審により銀メダルになるというトラブルも起こった。 マラソンでは、高橋尚子が日本の女子陸上競技として初の金メダルを獲得(オリンピック新記録)。女子マラソン中継の平均視聴率が40%を超えるなど日本中で話題になり、国民栄誉賞が授与されることとなった。 野球においてプロの参加が認められ、アメリカ、韓国、オーストラリアなどがプロ主体のメンバーで参加した。日本はプロ側の足並みが揃わず、8球団が1名ずつ派遣するプロアマ混成チームであった。日本は1次リーグを勝ちあがったものの、準決勝でキューバに、3位決定戦で韓国にも敗れて4位となり、メダルを逃した。 サッカーはフィリップ・トルシエがA代表監督を兼任する形で率い、メンバーの大半がA代表でプレーしていた上に各年代の大会で好成績を収めていたこともあって前評判も高く、南アフリカ・スロバキア・ブラジルと同組になったグループリーグで2勝1敗の2位で勝ち上がり、銅メダルを獲得した1968年メキシコシティーオリンピック以来32年ぶりの決勝トーナメント進出を果たした。アメリカとの準々決勝ではPK戦までもつれ、4人目の中田英寿が外してベスト8で敗退となった。なお、この試合の中継がすべての競技を通じて最高の視聴率(42.3%)を獲得した。 男子レスリングのグレコローマンスタイル130kg級では、ルーロン・ガードナーが決勝でアレクサンドル・カレリンを破って金メダルを獲得した。カレリンは1987年から続いた国際大会無敗の記録が途絶え、オリンピック4連覇はならなかった。 1956年のメルボルンオリンピックでは馬術が検疫期間の関係でスウェーデンのストックホルムで開催されたため、全競技がオーストラリアで開催されたわけではなかった(参照)。しかし、シドニー大会では検疫技術の進歩等もあり2週間での検疫が可能になったことから、全ての競技がオーストラリア国内で開催された。全競技がオーストラリア(そして南半球)で開催されたのは、この大会が初めてとなった。
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大会ハイライト
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「ベルリンオリンピック」の記事における「大会ハイライト」の解説
8月1日の開会式では、ヒトラーが開会宣言をしている間に、メインスタジアムの10万人の観衆が、ナチス式敬礼(ローマ式敬礼)のように右手を斜め前方に挙げた。また、ドイツと政治的に緊張状態であったフランスの選手団が、行進の際「右手を斜め横に掲げるオリンピック式」の挨拶をし、これをナチス式の敬礼と勘違いしたドイツ人の観衆の熱狂的な拍手を浴びた。 前回のロサンゼルス大会に引き続き、平沼亮三が日本選手団長を務めた。 陸上の10,000メートル、5,000メートルに出場した村社講平は共に4位とメダルはならなかったものの、小柄な村社が大柄なフィンランドの選手達(イルマリ・サルミネン、アルヴォ・アスコラ、ボルマリ・イソ=ホロ)を相手に果敢に先行する姿がドイツの観衆達の熱狂的な共感を呼び、日本においてもベルリンオリンピック最初の国民的英雄となった。 陸上三段跳びの田島直人が金メダルを獲得し3大会連続の日本の勝利を見せ、また走幅跳びでも銅メダルを獲得する活躍をみせた。 陸上棒高跳びでは西田修平と大江季雄の日本勢が、アメリカ勢との熾烈な争いの末、それぞれ銀・銅メダルを獲得。2人はメダルを半分ずつに割って『友情のメダル』を作成した(後に、西田修平のメダルは早稲田大学に、大江季雄のメダルは秩父宮記念スポーツ博物館に、それぞれ寄贈された)。 女子二百メートル平泳ぎでは前畑秀子が、地元ドイツのゲネンゲルの激しい追い込みを僅差で押さえ、金メダルを獲得した。ラジオ放送での河西三省アナウンサーの「前畑頑張れ」の連呼の実況は、日本の聴衆者に熱狂的な興奮を巻き起こした。 サッカーでは初出場の日本チームが優勝候補のスウェーデンを破る歴史的番狂わせを演じ(ベルリンの奇跡)ベスト8に進出した。 アメリカのジェシー・オーエンスが、男子短距離・跳躍種目のそれぞれに優勝し史上初の4冠を達成した。この陸上4冠記録はカール・ルイスが登場するまで並ぶ者は出なかった。
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大会ハイライト
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「1936年ベルリンオリンピック」の記事における「大会ハイライト」の解説
8月1日の開会式では、ヒトラーが開会宣言をしている間に、メインスタジアムの10万人の観衆が、ナチス式敬礼(ローマ式敬礼)のように右手を斜め前方に挙げた。また、ドイツと政治的に緊張状態であったフランスの選手団が、行進の際「右手を斜め横に掲げるオリンピック式」の挨拶をし、これをナチス式の敬礼と勘違いしたドイツ人の観衆の熱狂的な拍手を浴びた。 前回のロサンゼルス大会に引き続き、平沼亮三が日本選手団長を務めた。 陸上の10,000メートル、5,000メートルに出場した村社講平は共に4位とメダルはならなかったものの、小柄な村社が大柄なフィンランドの選手達(イルマリ・サルミネン、アルヴォ・アスコラ、ボルマリ・イソ=ホロ)を相手に果敢に先行する姿がドイツの観衆達の熱狂的な共感を呼び、日本においてもベルリンオリンピック最初の国民的英雄となった。 陸上三段跳びの田島直人が金メダルを獲得し3大会連続の日本の勝利を見せ、また走幅跳びでも銅メダルを獲得する活躍をみせた。 陸上棒高跳びでは西田修平と大江季雄の日本勢が、アメリカ勢との熾烈な争いの末、それぞれ銀・銅メダルを獲得。2人はメダルを半分ずつに割って『友情のメダル』を作成した(後に、西田修平のメダルは早稲田大学に、大江季雄のメダルは秩父宮記念スポーツ博物館に、それぞれ寄贈された)。 女子二百メートル平泳ぎでは前畑秀子が、地元ドイツのゲネンゲルの激しい追い込みを僅差で押さえ、金メダルを獲得した。ラジオ放送での河西三省アナウンサーの「前畑頑張れ」の連呼の実況は、日本の聴取者に熱狂的な興奮を巻き起こした。 サッカーでは初出場の日本チームが優勝候補のスウェーデンを破る歴史的番狂わせを演じ(ベルリンの奇跡)ベスト8に進出した。 アメリカのジェシー・オーエンスが、男子短距離・跳躍種目のそれぞれに優勝し史上初の4冠を達成した。この陸上4冠記録はカール・ルイスが登場するまで並ぶ者は出なかった。
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