国際法は「法」であるか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 06:16 UTC 版)
国際法は、国内法のような立法・行政・司法の中央集権機関がなく、組織的な法の適用、執行の機構を欠いている。そのため、国際法の法としての性格を否定する学説が19世紀末から20世紀初頭に特に見られた。これは、すなわち、国際法の強制性の問題である。例えば、オースティン(J.Austin)は、実定法は「主権者の命令」であり、義務違反に対する制裁を予定しているものであるが、国際法にはそうした条件がなく、単なる「実定的な道徳」にすぎないとした。 日本は、江戸時代後期、米国との間に締結された1854年の日米修好通商条約によって「開国」し、続いてその他ヨーロッパ諸国とも条約を結んでいった。それらの条約は、領事裁判権その他の特権を欧米諸国に認めた「不平等条約」であったが、ともかく、それによって日本が「ヨーロッパ近代国際法」に接する機会が得られ、次第に国際的実践の規範としての国際法への自覚を高めていったことは注目されると説かれる。(一方、20世紀以前には、ヨーロッパの他に、中国圏、イスラム圏といった世界が存在し、それぞれ「法」・「儀」・「礼」や「シャーリア」(shari'a)といった法で規律されており、20世紀にそれらの文明とヨーロッパ文明が衝突した、と指摘されうる。)また、明治政府は、五箇条の御誓文で、万国公法を「天地の公道」としてその遵守を謳い、その後、歴代の政府がヨーロッパ国際法の知識の移入、教育、研究に大きな力を注いだ。 現代の国際法においては、その強制力は、国際法違反行為に対する被害国による「対抗措置」(countermeasures; les contre-mesures)(「国家責任条約草案」49条以下)や報復(retortions)(合法的な措置)といった形で存在する。特に、制度的にも整備されているものとして、GATT/WTO法違反と認定された行為についての世界貿易機関(WTO)紛争処理機構(DSB)の決定、その実施、DSBが承認する譲許その他の義務の停止がある。また実際、ほぼ全ての国が、国際法を法として認識し、その法務を扱う部門を外務省に設置し、かつこれを遵守しているため、現在では国際法の法的性質を肯定する学説が通説となっている。 しかし問題点もあり、例えば、国連安保理の表決制度には、常任理事国(米、英、仏、露、中)の拒否権があり、事実上、これら常任理事国への憲章七章に基づく強制措置はできない。国際司法裁判所の判決も、一方の当事国がそれを履行しない場合には他方の当事国は安保理に訴えることができるが(94条2項)、前者が常任理事国の場合には事実上、安保理の措置はなされない。そこで、今日でも、国際法は「原始法」(le droit primitif)であるという主張がなされる場合もあるが、対して、今日の国際世論の力(la force publique)を認めこれが国際法の実効性を支えているという指摘もある(近年、確立しつつある「国際市民社会」概念も参照)。 国際法の法的拘束力の基礎については、近代より議論されてきており、国家の基本権の理論や、国家が拘束されることに同意しているからとか、ケルゼンの根本規範の原理や、自然法から説明する立場など様々であるが、究極的には、人間が理性的な生き物として、その生きていく世界を支配する原理が秩序にあると信じることを強いられていることにある、とする見解が一つの有力な説明である。
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