国際ラリーでの活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 05:24 UTC 版)
三菱は1983年より「世界一過酷なモータースポーツ」といわれるパリ・ダカール・ラリー(パリダカ)にパジェロで参戦、1985年に初めて総合優勝したが、日本国内における認知度を高めるためには日本人の活躍が必要と判断した。俳優の夏木陽介と一緒に出場する選手として、当時37歳の篠塚が8年間のブランクを経て競技に復帰することになる。 1986年のパリダカは夏木と共に市販車無改造クラスにディーゼルエンジンのパジェロで初出場し、総合46位(マラソンクラス6位)で完走、この際は「砂漠での最高速は70キロ程度で、ゴールは毎日日付が変わった頃であった」とのこと。 1987年は、より速い車で参戦したいという篠塚の要望により、前々年パトリック・ザニロリが乗っていた2600 ccガソリンターボエンジンを搭載したプロトタイプ・パジェロで参戦。夏木が監督を務める「チームシチズン夏木」から出場し、三菱ワークスを上回る総合3位を獲得。その健闘ぶりをNHKがスポーツニュースで報じたことでマスコミに注目され、F1にフル参戦した中嶋悟と並んで「パジェロ・篠塚・パリダカ」の名が一般的に浸透した。1988年は総合2位となり、以後も三菱ワークスのドライバーとして総合優勝争いの前線で走り続けた。この間のリタイアは1991年のクラッシュと1994年のチーム抗議撤退時のわずか2回のみであった。 1988年にはアジアパシフィックラリー選手権 (APRC) の初代チャンピオンを獲得。WRCでは1991年のコートジボワールラリーでギャランVR-4をドライブし日本人ドライバーとしてWRC初優勝を達成し、日本人初の国際自動車連盟 (FIA) 公認Aシードドライバーとなる。1992年は同ラリーを連覇。また、サファリラリーでは1994年・1995年にランサーエボリューションをドライブし、2年連続2位入賞を果たしている。 ダカール・ラリーでは参戦12年目の1997年に、48歳にして日本人初の総合優勝を成し遂げた。 2000年のダカール・ラリーでは大転倒で腰骨を骨折。より競技に集中するため家族と共にパリの三菱事業所に赴任したが、2002年のダカール・ラリー総合3位を最後に三菱自動車を退社した。三菱ラリーアート側は53歳という年齢からマネージメントへの転身を打診したが、本人は現役活動にこだわり、結果として30年間のサラリーマンドライバー生活に終止符を打った。 2003年にはプロドライバーとして日産自動車と契約しダカール・ラリーに参戦したが、高速クラッシュで顔面を強打し重体説も流れるほどの大怪我を負う。2004年・2005年は日産のサテライトチームから参戦したが連続リタイア、日産のワークス活動も2005年で打ち切られる。2006年は体力の衰えやラリー活動40年を区切りとして引退することを予告し、初めてプライベーターとして参戦。車両故障でリタイヤし、ラリー人生に一旦ピリオドを打った。 しかしその後、東洋ゴム工業からラリー用タイヤの開発を目的として2007年のダカール・ラリー参戦のオファーを受け、イタリアのチームから日産・パスファインダーで出場することになった。その際、前年の引退表明は「表彰台を狙うような走りで勝負するのは今回が最後」という意味であり、ラリーを引退するつもりはないと語った。本番では5年ぶりにゴールまで完走した。還暦を迎えた2008年も出場を予定していたが、テロ予告により大会が中止となった。南米開催に移行した2009年以降にはダカールラリーへは出場しておらず、2019年のアフリカエコレース参戦までアフリカ大陸のラリー参戦は途絶えることとなる。 2009年夏にはラリー・モンゴリアに主催者側スタッフとして参加し、リタイアしたドライバー・ナビゲーター等を収容する「カミオンバレー」の運転を担当した。それまで篠塚は「トラックを運転した経験はなく、免許もない」ということで大型免許を取得するところからスタートし、開催期間中はほとんど不眠不休でリタイア者の収容作業にあたることになった。 2010年代はラ・フェスタ・ミッレミリアなど国内外のクラシックカーラリーを中心に現役活動を続けている。 2015年よりタイで行われるアジアクロスカントリーラリーにスズキ・ジムニーシエラで出場し、2015年 - 2017年に改造車ガソリンクラスで優勝した。 70歳を迎えた2019年、アフリカエコレースで当時唯一の日本人として初参戦し、いすゞ・D-MAXを操り見事総合34位完走を果たし、市販車無改造ディーゼルクラス2位。2020年のアフリカエコレースへは菅原義正はじめ複数名の日本人が参戦を表明しており、篠塚がアフリカエコレース日本人参戦の足掛かりを切り招いたといえる。
※この「国際ラリーでの活躍」の解説は、「篠塚建次郎」の解説の一部です。
「国際ラリーでの活躍」を含む「篠塚建次郎」の記事については、「篠塚建次郎」の概要を参照ください。
- 国際ラリーでの活躍のページへのリンク