国籍喪失と西ドイツへの移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 15:56 UTC 版)
「アルトゥール・ルドルフ」の記事における「国籍喪失と西ドイツへの移住」の解説
1970年、アメリカ合衆国司法省特別捜査局(英語版)(OSI)職員のイーライ・ローゼンバウム(英語版)は戦時中のナチス・ドイツのロケット計画に関する本を読んでいた時、強制労働により部品が運搬されたという記述の中に偶然ルドルフの名前を見つけた。ローゼンバウムは国立公文書記録管理局保管資料からドーラ戦犯裁判の記録を再調査し、ルドルフが囚人の強制労働に関与していたことを突き止めた。1982年9月、ルドルフはOSIから取調べのための出頭要請を受けた。ルドルフ自身はこれを渡米以来繰り返し行われてきたナチス・ドイツへの政治的な態度の確認や戦時中の活動に関する取調べの一環だと考えていた。 1983年11月28日、ルドルフはOSIとの交渉を経てアメリカ合衆国市民権の放棄と国外移住に同意した。伝えられるところによれば、ルドルフはこの際にOSIから妻や娘の福祉に関する脅迫を受けたという。この取引によりルドルフに対する起訴は行われず、また妻や娘の市民権はそのまま維持され、ルドルフの退職金や社会保障給付も残された。1984年3月、ルドルフはアメリカ市民権を放棄し、妻マルタと共にドイツへ向かった。しかし、ドイツ政府はルドルフが目下一切の国籍を有しないとしてアメリカ国務省への抗議を行っている。同年7月、ドイツ政府はルドルフに改めて市民権を付与するか、または戦争犯罪に関する起訴を行うかを審議する為、OSIから各種資料を取り寄せた。1985年1月、世界ユダヤ人会議がミッテルヴェルケの生存者を探し、彼らの証言を新聞記事として掲載した。 1985年4月、OSIからの資料がドイツに届き、ハンブルク司法長官のハラルト・ドゥーン(Harald Duhn)が調査にあたった。1987年3月、ルドルフの容疑のうち事項が認められていなかった殺人容疑について、証人不足などの理由から不起訴の判断が下される。その後、ルドルフは正式にドイツ市民権を付与された。 その頃、アメリカ合衆国内では大論争が巻き起こっていた。ルドルフは取調べについて周囲の友人らにも知らせておらず、OSIが彼のドイツ移住を発表したのは彼がアメリカ合衆国を離れてからであった。いくつかのグループあるいは個人は、ルドルフに関するOSIの活動を改めて調査するように求めた。これは例えば、元ABMA局長のジョン・ブルース・メダリス(英語版)退役少将やハンツビル市関係者、アメリカ在郷軍人会(英語版)、NASAの元同僚といった人々である。ルドルフへのインタビューを行ったトーマス・フランクリンは、その内容をまとめて地元紙『ハンツビル新聞』(Huntsville News)に連載記事として掲載した。この記事は後に編纂され、書籍『An American in Exile: The Story of Arthur Rudolph』として出版された。 1985年にはニューヨーク選出の下院議員であるビル・グリーン(英語版)がルドルフのNASA殊勲章を剥奪する法案を提出した。彼は1987年にも同様の法案を提出した。1989年、ルドルフは月面着陸20週年の記念行事に出席するべくビザを申請したが、アメリカ国務省によって却下されている。1990年5月、オハイオ州選出の下院議員であるジェームズ・トラフィキャント(英語版)はOSIによるルドルフへの人権侵害の有無を判断する公聴会を求める運動を開始した。しかし、この運動は有力な指示を得ることに失敗し、6月には「移民、難民、国際法に関する小委員会」(Subcommittee on Immigration, Refugees, and International Law)が設置されたが、それ以上の動きはなかった。同年7月、ルドルフはアメリカ合衆国に残っていた娘と会う為にカナダへ入国した。しかしOSIは依然として彼を監視リストに載せており、彼は当局による勾留を受けた後、自発的にカナダを出国した。右派活動家のエルンスト・ツンデル(英語版)やパウル・フロム(英語版)らはルドルフの支援を行おうとした。その後、ルドルフ不在のまま移民公聴会が開かれ、バーバラ・クラスツカ(英語版)がルドルフの代理人を務めた。最終的にカナダ当局はルドルフの再入国を認めないという判断を下した。またルドルフはアメリカ合衆国市民権の再取得の為に訴えを起こしたが、1993年に棄却された。 1996年11月、マルタ・ルドルフは下院司法委員会委員長ヘンリー・ハイド(英語版)に宛てて手紙を書いた。彼女はこの手紙の中で、夫とOSIの取引はOSI側に強制されたものであった事、NASA殊勲章に関する下院決議に強く失望した事を述べている。また、パット・ブキャナン、リンドン・ラルーシェ(英語版)、フリードワード・ウィンターバーグ(英語版)といった人々はアルトゥール・ルドルフの擁護を続けていた。
※この「国籍喪失と西ドイツへの移住」の解説は、「アルトゥール・ルドルフ」の解説の一部です。
「国籍喪失と西ドイツへの移住」を含む「アルトゥール・ルドルフ」の記事については、「アルトゥール・ルドルフ」の概要を参照ください。
- 国籍喪失と西ドイツへの移住のページへのリンク