国家観・世界観
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「在家仏教 (河口慧海)」の記事における「国家観・世界観」の解説
(106章、107章)一般的序説 ウパーサカ僧は、一切衆生に対して平等にその向上を計るのであり、その点から見れば「世界主義者」である。 しかし、自家安住の第一立場である自国の存在を否定して、世界主義に盲進するような、実行不可能な世界主義者ではない。 釈尊は、一切衆生恩(世界恩)に報いることを教えたと同時に、国王の恩に報いることも教えたのであり、この点から見れば、ウパーサカ僧は「国家主義者」でもある。 しかし、近代流行のひたすら自国の利益を増大する為に、他国を略奪してその国民を苦しめ、その発達を阻害する猛獣の如き国家主義ではない。ウパーサカ僧の国家主義は、世界の平和をはかり、真実の文化を進める為に、まず自国をして真の和合衆なる一団とならしめ、真実文化の光明を発揮して、世界の「国土渇望餓鬼」「貪権阿修羅」「英雄的亡者」の欲望を、煙散霧消せしめることを志向する。 ただし、そうした亡者・餓鬼・阿修羅の侵略から国家を防衛するために、国力に相応して現代的な完全なる軍備を調えることも主張する。 日本について 日本は東洋の諸国に対しては、常に軍備を以て保護せねばならぬ位置にある。また現今世界公許の戦術である市街投弾などの野蛮行為、非戦闘員を殺すが如き戦法は、武士道の大に恥辱とする所である。日本は世界平和のために、武士道を世界に発揮して、自ら文化と称する世界の最も猛悪なる野蛮人を降伏させなければならない。世界においてこの仏教的正義を行うに足る資格と歴史あるのは日本だけである。 聖徳太子がウパーサカ仏教を日本に宣揚し、日域大乗相応地と宣言したことは、日本の世界に対する精神的位置を明言したものである。 最も平和的なるウパーサカ仏教を以て、世界中で最も適当したる処は日本であると、明言したその主旨は、この仏教の根本的平和主義を世界に宣伝して、各国各自の努力にて、世界の平和を根本的に統一せしめようということである。なぜなら、世界の平和を維持しなければ、我国の平和を保つことが出来ないからである。 日本の国体と歴史は、全く世界の何処にも類例のないものであり、仏教渡来以前より歴代の天皇陛下は、全国民を赤子の如くに愛撫し、全国民も一般に陛下を厳父慈母の如くに尊敬して、「君民一体一家族」となって発達していたことは、自然と仏教の大精神と一致していたし、仏教渡来後は、聖徳太子自らウパーサカとして仏教発揚に全力を注ぎ、益々日本本来の使命を明かにし、国民文化の発展に尽瘁した事は、歴史の証明する所である。また歴代の天皇陛下は自ら仏道を実践し、範を国民に示された。 このように仏教の大乗的精神が日本に弥漫し、仏陀の謂う「一切衆生みなこれ我子」が、歴史上天皇陛下の仁政の上に実現せられて、他国の侮慢を受ける事なく栄耀安泰を以て今日に及んでいる。これを一方より見れば、広い世界主義の上に立った国家主義が完全に行われていたものと言うべきである。 仏教的国家主義・世界主義と実践 仏教の世界主義は、欧米人等が想像できないほど広大深遠のものであり、人間諸種族の平等のみならず、一切衆生すなわち総べての下等動物に至るまで、仏性を有することを主張して、その生存権の保証を立てるものであり、そのために不殺生戒・不食肉戒までをも実行している。 この仏教の世界主義を実行するためには、まずは個人として自己を浄化し、自己の心地を寂光土に安住させ、進んで自己を向上し、自己が属する国家の浄化と向上とを計り、これを世界に及ぼして、世界人に真の幸福を受けさせようとしなくてはならない。 仏教の国家主義は、世界主義の上に立つ国家主義であり、自国の存立を確保しながら、世界の平和に尽力する。世界の平和を確保するために、自国の存立を確保しその浄化と向上とを計り、これを完成するために、まず国民各自の個々の浄化と向上とを計る。
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