勲章の拒否とは? わかりやすく解説

勲章の拒否

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 10:08 UTC 版)

レジオンドヌール勲章」の記事における「勲章の拒否」の解説

以下の面々叙勲拒否している。 劇作家のネポミュセーヌ・ルメルシエ(フランス語版)(皇帝とその一族宣誓するのを拒否したラファイエット 詩人ジャン=フランソワ・デュシー(フランス語版)(「鎖よりはぼろを」と言った) モーリス・ジャン・マドレーヌ・ド・ブロイ(フランス語版ジェラール・ド・ネルヴァル ナダール ジョルジュ・サンド叙勲打診した大臣にこう返信した――「そんなことよしくださいな、酒保おばあちゃんみたいになりたくないの!」) オノレ・ドーミエ(「政府には私をそっとしておいて頂きたい!」) エミール・リトレ(フランス語版ギュスターヴ・クールベ ギ・ド・モーパッサン モーリス・ラヴェル即座に拒否し、またその理由答えなかった)一方エリック・サティはこれについてこう書いた――「ラヴェルレジオンドヌール拒否したかもしれないが、ラヴェル音楽レジオンドヌールをすっかり受け入れてるよ」。 ピエールマリ・キュリー打診を受けピエール素っ気なく言い返した――「必要性感じません」) ルイ・アラゴンジャック・プレヴェールはこれに対してアラゴン述べた――「あれを拒否したのは大変結構だが、それだけじゃなくてあれに値しないようじゃなきゃいけなかったな」。 クロード・モネ ジョルジュ・ベルナノス4度拒否している) ウジェーヌ・ル・ロワ(フランス語版ジャン=ポール・サルトル シモーヌ・ド・ボーヴォワール アルベール・カミュ アントワーヌ・ピネー(「1914-1918年の戦争(=第一次世界大戦)の戦火の中で得た軍事勲章に勝るものはない」と考えていた) ブリジット・バルドー1985年叙勲されたが、受け取りに行くことを拒否したカトリーヌ・ドヌーヴクラウディア・カルディナーレ エクトル・ベルリオーズ財政難政府が『死者のための大ミサ曲』の代金として約束3000フラン代わりに贈ろうとしたがベルリオーズは「おたくの勲章なんか知ったことか。俺の金を寄越せ!」と叫んだマルセル・エイメ1949年に、教育省叙勲打診した拒否。この時の回答は有名。その結びはこうである――「かくも望ましいご厚意お断りなければならなくなることは大変な苦痛ですので、どうかそのレジオンドヌールというものには、極楽浄土喜びのごとく、列車座席どっかりと腰を下ろして頂きたく存じます。」[訳語疑問点](『塹壕砲』1950年) ベルナール・クラヴェル(フランス語版)(1997年12月末に「拒否した仲間方に残りたい」として拒否伯父のシャルル・クラヴェルがレジオンドヌール受け取ったのは、過酷な戦争祖国のために夥しい血を流したからだとも付け加えた。「もし私が伯父と同じ勲章着けているのを見たら、伯父は墓の中で寝返りを打つでしょう。」) エドモン・メール(フランス語版)(「何が名誉あることで何がそうでないかは国が決めることじゃない」と宣言して拒否ル・モンド政治部記者フランソワーズ・フレソ、『フランス・アンフォ記者マリー=イヴ・マルイン(2009年1月5日。「私の職業上の行程の中の何物も、このような栄典正当化しない。さらに、職務束縛なく遂行するためには、政治記者栄典からは離れてなければならない。これらの理由から、私にはこの勲章拒否する義務がある。」) フィリップ・セガン父親受勲拒否していたことから拒否したトマ・ピケティ2015年1月1日、『官報』でシュヴァリエ5等級)への叙勲発表されたが、やはり「誰に名誉を与えるか決めることは政府の役割ではないから」と辞退)。 叙勲は受けるが着用拒むことを選ぶ者もあり、例えアカデミー・フランセーズ会員のジャン・ドルメソン(フランス語版)がそうで、こう宣言した――「栄誉なんてものは軽蔑しているが、軽蔑しているからといって我慢できないわけでもない。」。 ジャン・ヴィクトル・マリー・モローレジオンドヌール創設嘲笑していた。誰かがモローに、武勲秀でたものだけでなく、功績知識秀でたものにもレジオンドヌール授与されると言うとモローはこう叫んだ――「へえ! じゃあ俺はうちの料理人のためにコマンドゥール勲章申請するとするよ、あいつは料理技術に大変優れているからな。」(O'Meara[訳語疑問点]) 『カナール・アンシェネ』の寄稿家はずっと以前から一切勲章拒否することを決まりにしていてレジオンドヌールはその筆頭であったジャーナリストのピエール・シーズ(フランス語版)は1993年レジオンドヌール受け取ったためにカナール誌から追放された)。 ジャック・プレヴェールや、勲章の話を歌にしたジョルジュ・ブラッサンスや、「くだらないリボン恥ずかしくて真っ赤」と馬鹿にしたレオ・フェレのようなアナーキスト詩人たちも拒絶したミス・フランス委員長ジュヌヴィエーヴ・ド・フォントネー(フランス語版)にサヴォワ県の上院議員がレジオンドヌール打診したが他とは逆の理由断った――「そんな誰にでも渡すのでは勲章価値なくなってしまいますよ……チョコレートメダルじゃないんですから。」 アルス主任司祭ジャン=マリ・ヴィアンネ1855年に、自分でも知らぬうちにシュヴァリエ叙勲されていた――トレヴー(フランス語版)の郡長アン県知事申請していたのである勲章貧者のためのお金もたらすことはないとして司祭はこれを断った拒否にもかかわらずレジオンドヌール勲位局は勲章料金請求せずに送付した結局司祭決し勲章着用することはなかったが、勲章中に入れられた。 レジスタンス彫刻家ルネ・イシェ(フランス語版)は1914-1918年にシュヴァリエ叙勲されたが、1947年にはオフィシエへの昇進断った芸術家としてであっても1940年レジスタンス先駆者としてであっても受け取ると勲章あらゆる意味を失ってしまうと判断したのであるトルコ高等教育機構(l’Organisation d’Éducation supérieure)会長ガラタサライ大学フランス語版)の元学長のエルドアン・テジッチ(トルコ語版)教授は、2004年9月17日受章していたが、アルメニア人虐殺否定罰することを目的とした法案国民議会可決されたことに抗議するため2006年10月16日返上した2009年1月2日モーリス・オーダンの娘で数学者のミシェル・オーダン(フランス語版)は、ミシェルの母が、夫(モーリス)のアルジェリアでの失踪の謎を解明することとフランスがその責任を負うことを求めニコラ・サルコジ送った公開質問状回答得られなかったことを理由レジオンドヌールシュヴァリエ拒絶した

※この「勲章の拒否」の解説は、「レジオンドヌール勲章」の解説の一部です。
「勲章の拒否」を含む「レジオンドヌール勲章」の記事については、「レジオンドヌール勲章」の概要を参照ください。

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