加糖練乳
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/27 15:28 UTC 版)

加糖練乳(かとうれんにゅう)とは、牛乳に糖分を加えて濃縮させた、粘度の高い液状の食品である。日本においては英語に由来するコンデンスミルクの名で一般に呼ばれている[1]。糖分を加えていないものは無糖練乳と呼ばれるが、単に練乳(れんにゅう)と呼ぶ場合はこちらの加糖練乳を指すことが多い。
名称・表記
英語のcondensed milk(直訳的には「凝縮された牛乳」)は濃縮乳全般を指す概念である[2][3]。日本では「コンデンスミルク」が加糖全脂練乳の通称として用いられており[2]、砂糖を加えないで精製した無糖練乳(エバミルク、英: evaporated milk に由来)とは区別されている[3]。
英語のcondensedは /kəndénst/ と発音し[4]、カナ転記としては「コンデンストミルク」表記が近いが[1]、「コンデンスドミルク」とも表記される[5]。「コンデンスミルク」という表記は1872年(明治5年)の『新聞雑誌』記事に用例が見られる[6]。
なお漢字表記する場合、「加熱精製した乳」という意味を含む「煉乳」が本来の用字であるが、「煉」が常用漢字に含まれていないことから、法令では「れん乳」、新聞等では「練乳」と書かれる。
概要
成分は乳等省令で「乳脂肪分8%以上・乳固形分28%以上・全ての糖分58%以下」(加糖れん乳)と定義されており、一般的な製法は、原料の牛乳に砂糖を加えて煮詰め、液体に光沢が現れたら加熱を止めて冷却し、しばらく寝かせた後に缶やチューブに詰める。
牛乳に砂糖を加えるのは、甘みをつけるのが第一の目的ではなく、液体化したショ糖を濃厚にすることで細菌の繁殖を防ぎ、保存性を高めるためであり、ショ糖が結晶せず乳糖が最小限の結晶となる限度まで加えられている。これは容器への充填後に殺菌するのを省くことを図ったものである。この製法は1835年にイギリスのニュートンが考案したのち、1856年にアメリカのゲイル・ボーデンが工業化に成功し製品として売り出した。最近の製品は加熱殺菌して出荷されている。
用途
加糖れん乳は、当初は新鮮な牛乳を得にくい場所で、湯で薄めて飲用にしたり、コーヒーや紅茶などに加えて飲むために用いられた。現在も、ベトナムではコーヒーに加糖れん乳を入れて飲むのが一般的で、この飲用法は日本でもベトナムコーヒーとして知られつつある。日本では一部のコーヒー飲料にも使われていて、マックスコーヒーに代表されるような濃厚な甘みとミルク感を持つコーヒー飲料を作り出したりしている。また、香港では香港式ミルクティーの一種の「茶走」(チャーザウ)や鴛鴦茶の一種の「鴦走」(ヨンザウ)として紅茶などに用いられている。オーストラリアやニュージーランドなど、個人携行用の戦闘糧食にチューブ入りの加糖れん乳が含まれている国がある。
現在の日本では、飲用よりもイチゴやかき氷にかける、パンに塗る、菓子やアイスクリームを作る時の材料として用いるなどの用途が多い。
一時期、母乳が得られない時に育児用に用いられたこともあるが、乳児が分解しづらいショ糖や乳脂肪が多く含まれ、逆に核酸などの不可欠な成分が不足するため、専用の育児用粉ミルクが開発された現在では避けられている。
歴史
日本の乳業史においても、加糖練乳の生産は大きな役割を果たした。牛乳を保存のきく商品にする加糖練乳の生産は、産業化・企業化の出発点となったためである。
日本における練乳生産史は、1869年(明治2年)に実業家の前田留吉、吉野郡造らが練乳製造を試みた事に始まり、1884年(明治17年)には、辻村義孝・村瀬六太郎らによって「東京煉乳会社」が設立され生産が始まった。同年には、千葉県安房地方で根岸新三郎が生産を開始した。さらに根岸は、1893年(明治26年)に千葉県内で「安房煉乳所」を開設し、より本格的な練乳生産を開始した[7]。
1896年(明治29年)には、静岡県三島市の花島兵右衛門が「真空釜」の開発に成功し、外国産に引けを取らない上質な国産練乳の量産を実現、「金鵄ミルク(きんしミルク)」としてブランド化した[8][9]。
また、1915年(大正4年)には、長野県須坂市の畜産組合、北海道函館市のトラピスト修道院で練乳の製造に着手した[10]。
森永乳業は「日本煉乳」として創立された企業で、昭和時代の戦前期には「森永煉乳」と称していた。また、明治乳業(現・明治)のルーツも「房総煉乳」や「極東煉乳」といった企業に求められる。
加糖練乳にまつわる話
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- 脱脂乳を使った加糖脱脂練乳も製造されている。
- 加糖練乳にカルシウムを加えて薄く板状に固形化した菓子があり、「ミルクケーキ」という商品名をつけられている事が多い。
- ミルクジャムという名称の商品もあるが、多くは糖分によって少しキャラメル風味を持たせた加糖練乳である。
- 加糖練乳の缶詰を数時間茹でることで糖分がメイラード反応を起こしドゥルセ・デ・レチェとなる。中南米でよく作られる。
- アイスクリームのブランド「レディーボーデン」(2018年現在、日本ではロッテが生産・販売している)の名は、加糖練乳を工業化したゲイル・ボーデンに由来する。もともとは米国のボーデン社の商標で、ボーデン社はゲイル・ボーデンが興した企業をルーツとする。
- 沖縄県では「ワシミルク」ともいわれる。これは米軍統治時代から親しまれてきたイーグルブランド(Eagle Brand、ゲイル・ボーデンが創始したブランド)の缶デザインに由来する。
- 第二次世界大戦中の日本では、天皇・皇后から救護施設や託児所等への下賜品に加糖練乳が用いられることがあった(1942年8月8日)[11]。
製造者
日本
日本以外
脚注
- ^ a b “コンデンスミルク”. 百科事典マイペディア(コトバンク所収). 平凡社. 2020年3月10日閲覧。
- ^ a b 新沼杏二. “コンデンスミルク”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク所収). 平凡社. 2020年3月10日閲覧。
- ^ a b 新沼杏二・和仁皓明. “練乳”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク所収). 平凡社. 2020年3月10日閲覧。
- ^ “condensed”. 小学館 プログレッシブ英和中辞典(goo辞書所収). 小学館. 2020年3月10日閲覧。
- ^ 二村一夫. “(4) コンデンスミルク”. 食の自分史. 2020年3月12日閲覧。
- ^ “コンデンスミルク”. 精選版 日本国語大辞典(コトバンク所収). 小学館. 2020年3月10日閲覧。
- ^ 佐藤 奨平『平成25年〈2013年〉度 乳の社会文化学術研究・研究報告書』Jミルク2014年発行 31〜35ページ
- ^ “広報みしま・ふるさとの人物から9 花島兵右衛門(ひょうえもん)乳業と女子教育(2004年〈平成16年〉12月1日号)”. 三島市. 2025年9月26日閲覧。
- ^ “広報みしま・ふるさとの人物ゆかりの地13 花島兵右衛門(はなじまひょうえもん)2015年〈平成27年〉4月1日号”. 三島市. 2025年9月26日閲覧。
- ^ 下川耿史 家庭総合研究会 編『明治・大正家庭史年表:1868-1925』河出書房新社、2000年、404頁。ISBN 4-309-22361-3。
- ^ 富山市史編纂委員会編『富山市史 第二編』(p1075)1960年4月 富山市史編纂委員会
参考資料
- 佐藤 奨平「「日本練乳製造業の経営史的研究-安房地域を中心として-」」『平成25年〈2013年〉度 乳の社会文化学術研究・研究報告書』31〜55ページ 2014年(平成26年)9月発行 一般社団法人 Jミルク編集
関連項目
- 加糖れん乳のページへのリンク