前2千年紀
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ウル第3王朝時代にメソポタミアにアムル人が大規模に浸透し、やがて前2004年頃にエラムによってウル第3王朝が滅ぼされると、アムル人の王朝やアムル人を兵力として抱え込んだ王朝が各地に成立した。ウル第3王朝の滅亡からバビロン第1王朝の滅亡(前1595年頃)までの時代を古バビロニア時代と呼び、とりわけバビロンの王ハンムラビがメソポタミア全域を支配下に置く以前の時代をイシン・ラルサ時代という(バビロニアを参照)。これはイシンとラルサという2つの都市に拠点を置く王たちが覇権争いの中で中心的な役割を果たしたことによる。 この争いの中でもやはり、王権を授ける神エンリルの座であったニップル市は大きな重要性を持ち、その支配を巡って激しい争いが繰り返された。特にイシンの王たちはウル第3王朝の後継者という立ち位置を強く意識しており、公式には「国土の神、強き王、ウル王」を称していた。「正義」の観念に従う正しい支配者であることを証明するために、ニップル市に特典が与えられることもあったと見られる。イシン王イシュメ・ダガンはニップル市に免税特権を与えたことが文学作品に残されている。その中でイシュメ・ダガンは「その内部も外部も天のように美しい町ニップル、天と地の大きな帆柱に私は楽しい思いをさせ、金の支払いから除外し、その軍隊には武器を下に置かせた。以前にはニップルも調達しなくてはならなかった金銀の貢をニップルの住民には免除した。」と語っている。一方のラルサの王リム・シン1世も自らを「ニップルの地の羊飼い」と称している。 メソポタミアの混乱と分裂は最終的にバビロンの王ハンムラビによって終止符が打たれた。ハンムラビが属する王朝を一般にバビロン第1王朝と呼ぶ。バビロン第1王朝の覇権が確立すると、メソポタミアの宗教的中心としてバビロンが浮上していった。エンリル神の持っていた神性やその神話がバビロンの主神マルドゥクに吸収され、エンリル神殿たるエ・クル神殿の重要性は低下した。さらに、ハンムラビの後継者サムス・イルナ(在位:前1749年-前1712年)治世中の前1739年、シュメール地方全域で数年間にわたる大反乱が発生し、その結果としてシュメール地方は大きな打撃を受けた。ニップルも著しい損害を被ったものと見られ、残された文書からは反乱の後にその耕地・家屋が異常な低価格で取引されていたことがわかっている。そして前1720年にはニップルの文書記録は途絶え、恐らくはニップルは居住地として断絶したものと見られる。 バビロン第1王朝はその後時代とともに衰退と縮小を続け、その末期の歴史は具体的にはわからない。前16世紀になると、数世紀来バビロニアに侵入していたカッシート人が新たな王朝を建てた(カッシート朝、バビロン第3王朝)。カッシート人はバビロニアの伝統を重視すると共に、古いシュメールの文化をも掘り起こそうとした人々であった。かれらはニップル市を復興し、エ・クル神殿も再建されその壮大さを取り戻した。
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前2千年紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:01 UTC 版)
ウル第3王朝の終焉の後、イシン市で独立勢力(イシン第1王朝)を築いていたイシュビ・エッラがウル市からエラム人を追い払いその支配権を握った。イシン第1王朝、そしてこれと覇を争ったラルサはいずれもウル第3王朝の後継者であることを自任しており、政治的中心としての地位を失った後もウルは重要な都市であり続けた。ウル市の繁栄、帝国の威勢、シュルギ王の偉大さ、そして極めて効果的な国家のプロパガンダはメソポタミアの歴史を通じて影響を残した。アッシリアとバビロニアのメソポタミア社会の歴史的物語に名前、出来事、神話が記憶が留められている間、少なくともその後の2000年間、シュルギは非常に有名な歴史上の人物であった。 メソポタミアではアムル人(アモリ人)とよばれる西セム語を話す人々が建てた王朝が争うようになり、やがてその中から前18世紀に隆盛を迎えたバビロン第1王朝がハンムラビ王(在位:前1792年-前1750年)の下でメソポタミアの大部分を統一した。ウルもまたその支配下に入った。そして前1595年のバビロン第1王朝の滅亡の後には、新たにバビロニアの支配者となったカッシート人によって再征服された。カッシート人による支配の前、ウルは衰退していたが、カッシートの王クリガルズ1世(英語版)がウルを再建し、その後の王たちも様々な修復工事をウルで行った。
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