エンリル神殿とは? わかりやすく解説

エンリル神殿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 15:08 UTC 版)

ニップル」の記事における「エンリル神殿」の解説

ニップルには嵐の神エンリル神殿エ・クル)があった。現在知られているエンリル神殿はウル第3王朝の王ウル・ナンム在位:前22世紀末頃-前21世紀初頭頃)によって初め建設再建)されたもので、その後ニップル歴史を通じて修復再建繰り返された。エンリル捧げられ神殿それ以前時代から存在したことは疑いないが、ウル・ナンム以前神殿の建造物は発見されていない。恐らくそれは現在残るジッグラトの下に埋もれているものと思われるウル・ナンムによる建設事業エ・クル神殿全域改修再建する大規模なものであった。この時代建造物床面より上の壁が残されていないため、下部構造しかわかっていない。神殿北西-南東面を短辺北東-南西面を長辺とする長方形で、外側か見て南西面の最も左端にメインエントランスがあった。神殿外壁バットレス凹凸取り巻いており、特にメインエントランス両脇バットレスは他の壁よりも若干大きく、その外部は幅15センチメートル深さ17センチメートル3本の垂直の溝で装飾されていた。神殿平面図ウルのジッグラト境内にあった2つ初期王朝時代神殿類似性見られる神殿外周はジックラト等と共にさらに道を隔てて壁で囲われていた。 この神殿カッシート時代大規模に再建された。この再建によってウル第3王朝時代神殿遺構大きく壊されており、床面しか残されていないカッシート時代建造され基礎は元々あったウル第3王朝時代構造そのまま用いたものではない。神殿平面図については、シカゴ東洋研究所の"Nippur I: Temple of Enlil, Scribal Quarter and Soundings"のPLATE.15を参照されたい。 古バビロニア時代大規模な修復活動を示す痕跡は見つかっておらず、神殿本体ではウル第3王朝下部構造体の直上カッシート時代基礎が見つかっている。カッシート時代建造物は、元々の神殿構造正確に受け継いではいなかったが、同様の設計によって建設されていた。カッシート時代通じて各部屋・壁など増改築修復繰り返された。それぞれの工事年代順番などの関連付けは明確ではない。 この神殿カッシート滅亡後ニップル居住地としての事実上放棄経てアッシリア時代再建された。アッシリア時代神殿遺構損傷激しく包括的に理解できるのは一部部屋限られる残存している部屋の壁はカッシート時代のそれを踏襲しているが、一部部屋仕切り壁が追加されるなどしており、用途など変更されたものと見られる

※この「エンリル神殿」の解説は、「ニップル」の解説の一部です。
「エンリル神殿」を含む「ニップル」の記事については、「ニップル」の概要を参照ください。

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