エ・テメン・ニグル
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エ・テメン・ニグル(シュメール語 E-temen-nigur(u) É.TEMEN.NÍ.GÙR(U).(RU) 𒂍𒋼𒉎𒅍(𒊒)[1] 「畏怖をもたらす基礎の家」[2]、Ziggurat of Ur)[3] は、ウル第三王朝ウル(今日のイラクジーカール県ナーシリーヤ近郊)に位置したジッグラト。通称「ウルのジッグラト」。
年表
- 初期青銅器時代(紀元前21世紀):ウル・ナンムにより、ウルの守護神である月神ナンナ/シンへ捧げる神殿として建築開始[3][4]。
- 紀元前21世紀:シュルギ王の治世に竣工。
- 種別:階段ピラミッド
- 長さ:64メートル(210フィート)
- 幅:46メートル(150フィート)
- 高さ:推定 30メートル(100フィート)
- 紀元前6世紀:新バビロニア帝国最後の王ナボニドゥスにより再建築[5]。
- 19世紀:ウィリアム・ケネット・ロフタス(William Kennett Loftus)により記述。
- 1850年代:John George Taylor による発掘[6]。
- 1922-34年:レオナード・ウーリー、ペンシルベニア大学考古学人類学博物館、英国博物館による発掘。
- 第1次世界大戦後:Reginald Campbell Thomson、ヘンリー・ホール(Henry Hall)による発掘。
- 3層(最下層は紀元前21世紀、2、3層目は紀元前6世紀の建築)が発掘[7]。
- サダム・フセイン治世:最下層のファサード、階段が改築。
- 1991年:第1次湾岸戦争で損傷。
出典
- ^ Jacob Klein Three Šulgi hymns: Sumerian royal hymns glorifying King Šulgi of Ur, Bar-Ilan University Press (1981), ISBN 9789652260185, p. 162.
- ^ Shumeru : Jinrui saiko no bunmei. Kobayashi, Toshiko, 1949-, 小林, 登志子, 1949-. Tōkyō: Chūō Kōron Shinsha. (2005). ISBN 4-12-101818-4. OCLC 675847194
- ^ a b Explore the ziggurat of Ur, The Ziggurat of Ur, the British Museum's web site on Mesopotamia covering Sumer, Babylonia and Assyria.
- ^ Gardner's Art Through the Ages by Helen Gardner, Fred S. Kleiner, Christin J. Mamiya
- ^ Ring, Trudy; Salkin, Rober M.; La Boda, Sharon. International Dictionary of Historic Places. p. 719. ISBN 1884964036
- ^ E. Sollberger, Mr. Taylor in Chaldaea, Anatolian Studies (1972)
- ^ Woolley, C. Leonard (1939). The Ziggurat and its Surroundings. Ur Excavations. 5
参考文献
- Woolley, C. Leonard and Moorey, P. R. S., Ur of the Chaldees: Revised and Updated Edition of Sir Leonard Woolley's Excavations at Ur, Cornell University Press (1982).
関連項目
- アリ空軍基地
- エンニガルディ=ナンナの博物館
- シュメール
- エ・テメン・アン・キ
- メソポタミアの建築
- ドゥルクリガルズ
- メルス - 神殿の門に捧げていた供物の一つ
外部リンク
ウルのジッグラト
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ウルのジッグラト(エ・テメン・ニグル)は紀元前2100年頃、ウル第三王朝のウル・ナンムが建造したとされている。規模は第一層が底面62.5m×43m、高さ11m、第二層が底面38.2m×26.4m、高さ5.7mで、最上部に月神ナンナを祀る神殿を載せていた。長方形の基部の四つの角はほぼ東西南北を指しており、正面と左右から真直ぐに階段がかかっている。正面の階段のみ三層目まで達していた。全体では上面が底面より小さい側面が台形の箱を重ねたような建造物である。メソポタミアでは建築に用いられる質の良い木材が少なかったこともあり、現在でもよく使用される日乾煉瓦や焼成煉瓦が用いられた。躯体主要部は日乾煉瓦によって構成され、表面は焼成煉瓦で仕上げられている。壁はバットレス(控え壁)と呼ばれる突出部がついており、規則的に凹凸ができていることによって単調ではなくなり、陰影のある外観となっている。また、底面の各辺や壁体の稜線は中央で膨らみがつけられているところからすでに視覚的補正効果をねらった表現がなされていたと考えられる。イラクにある。
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