前2千年紀後半とは? わかりやすく解説

前2千年紀後半

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 16:30 UTC 版)

古代オリエントの編年」の記事における「前2千年紀後半」の解説

バビロン第1王朝滅亡からカッシート朝(バビロン第3王朝)が支配確立するまでの期間は王の即位順なども含めて未解決の問題が多い。前1千年後半バビロニア支配権握ったカッシートの王たちの編年情報提供しているのは、まず後代史料である『バビロニア王名表A』だが、これには36人の王が576年9ヶ月の間支配したことが示されている。カッシート王朝後半については『アッシリア・バビロニア関係史』など複数情報があることから各地との相対年代ある程度確認でき、その滅亡は前1155年同定されているが、そこから『バビロニア王名表A』の記述に従ってカッシート王朝の成立時期逆算すると前18世紀遡ることになる。実際にカッシート王朝バビロニア支配していたことが確認される最も古い年代は前1500年頃とされ、これはカッシートの王ブルナ・ブリアシュ1世アッシリアの王プズル・アッシュル3世との間の国境策定言及したアッシリア・バビロニア関係史』の記録である。カッシート王統編年ブリンクマンによって研究されたものがよく通用しているが、初期の王同定年代即位順など未解決の問題残されている。 この時代にはバビロニア編年アッシリア編年結び付けることのできる複数史料存在している。ただし、アッシリア編年も完全には確立されていないアッシリアではリンム呼ばれる1年任期役人毎年任命されそれぞれの年は在職していたリンムの名前で呼ぶという独特の紀年法持っていた。そしてこのリンムの名前を集成した「リンム表」「リンム年代誌」などと呼ばれる文書作成されており、前1千年紀の編年確立には決定的な要素一つとなっている。しかし、前2千年紀後半に該当するリンム表発見されておらず、各種文書記載されているリンム年がどの王の統治何年目に属し時系列どのようなのであるのかが確実に同定できないため、多く場合にその絶対年代厳密に決定できないまた、この時代エジプト残され記録との間で同期取れる。バビロニアアッシリア、そして他のオリエント諸国の王と、エジプトの王アメンヘテプ3世在位:前14世紀前半)やアクエンアテンアメンヘテプ4世在位:前14世紀半ば)との間で交わされ書簡エジプトアマルナ発見されており、354通が知られている。これらの文章登場する王たちの間の同時代性は明らかであり、編年はこれに矛盾しないように成立されなければならない

※この「前2千年紀後半」の解説は、「古代オリエントの編年」の解説の一部です。
「前2千年紀後半」を含む「古代オリエントの編年」の記事については、「古代オリエントの編年」の概要を参照ください。

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