前3千年紀の編年
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「古代オリエントの編年」の記事における「前3千年紀の編年」の解説
メソポタミアはエジプトと並び人類史上最も古い文字記録が残されている地域であるが、紀元前3千年紀の編年情報は限定的である。シュメール初期王朝時代と呼ばれる諸都市国家の時代は通常、前2900年頃からアッカド帝国が登場する前24世紀頃までとされる。この時代のうち、同時代史料である王碑文や行政文書などを十分に活用できるのは前2500年頃以降である。これらの同時代史料を編年上にどのように位置づけるかという点については『シュメール王朝表(シュメール王名表)』に依拠している。だが、『シュメール王朝表』の利用には複数の困難がある。第一にこの王朝表の現存する最古の写本は古バビロニア時代(紀元前2千年紀前半)のものであり、オリジナルの成立は古く見てもウル第3王朝(前22世紀~前21世紀頃)時代であるため、より古い時代についての信憑性に疑問が持たれることである。第二の問題として、この王朝表はA王朝からB王朝へ、ついでC王朝へという整然とした王朝交代が行われたという体裁で叙述を行うが、実際にはこれらの王朝は同時代に並立していたと考えられることである。更に、有力都市全てを記録の対象とはしていないし、伝説的な「洪水」の前後の王朝から、ウルク第1王朝の王とされるギルガメシュの頃までの初期の王には空想的に長期間の在位年が設定されており、到底史実として取り扱うことができない。それでも、考古学的発見によって、その全てが空想の産物ではないことも明らかとなっており、注意深く取り扱うことによって有用な編年情報を得る事ができる。他に、ウルやラガシュのような都市の遺跡では、王碑文や王墓などから発見された王名を持つ考古学的遺物によって、歴代王の即位順などの時系列情報を得ることができる。 不確定要素の多い史料に依存するため、紀元前3千年紀の編年情報には未確定の要素が多数残されており、時系列的な情報や特定の王の絶対年代についても1世紀単位での修正が行われることがある。例えばウルクの王エンシャクシュアンナの治世はかつて前2500年頃とされていたが、20世紀後半までの議論で前2400年頃であると概ね認められるようになった。 『シュメール王朝表』が伝える王の在位年数は、アッカド帝国の成立(前24世紀頃)前後からより実際的に思われる統治年数が割り当てられている。これを用いて、各種の資料や計算を通じて、アッカド帝国時代からイシン第1王朝(前21世紀頃~前18世紀頃)時代までの連続した編年が提案されている。しかし、アッカド帝国の最末期の分裂の時代から、ウル第3王朝(前22世紀頃-前21世紀頃)による統一までの期間に編年上の空白があり、この期間の長さについての定説は存在しない。このため、ウル第3王朝以降の相対年代と、アッカド帝国以前の相対年代を確実に接続させることはできていない。 前3千年紀末のウル第3王朝の編年についてはその後の時代と相対年代が接続されている。ただしウル第3王朝の絶対年代は前2千年紀の編年の絶対年代が確定していないため、確実に割り当てることができない。後述する中年代説を前提とした場合、最も良く使用されるジョン・ブリンクマン(John A. Brinkman)の提案した編年ではウル第3王朝の絶対年代は前2112年-前2004年となる。
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