前3千年紀(初期青銅器時代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:01 UTC 版)
「ウル」の記事における「前3千年紀(初期青銅器時代)」の解説
詳細は「ウル第1王朝(英語版)」を参照 青銅器時代のウルの重要性を把握することができる様々な重要な史料が存在する。ウルの王墓(英語版)の豪華な遺構が示しているように、ウル第1王朝(英語版)は大きな富と力を持っていたと思われる。『シュメール王朝表』の中には不正確ながらも古代シュメールの政治史、また特にウルの複数の支配者について記載されている。メスアンネパダは『シュメール王朝表』で言及されている最初のウル王であり、マリで発見されたビーズや、テル・ウバイド出土の碑文にも登場することから、恐らく前26世紀頃に実在した可能性が高いと考えられている。ウルはthe City Sealsと呼ばれる種類の『円筒印章』からわかるように、既に重要な中心的都市であったと思われる。この種の印章は古代メソポタミアの都市国家の名前を書いたもの、あるいはそのシンボルと見られる楔形文字の原型で書かれた一連の記号がある。これらの印章の多くはウルで発見されており、ウルの名前が目立つように書かれている。 ウルは前24世紀から前22世紀にかけてアッカドの王サルゴンによって建設されたアッカド帝国の支配下に置かれた。サルゴンの死後、リムシュがアッカド王に即位すると、ウル王を称するカクはアダブ、ウンマ、ラガシュなどと共に反乱を起こしたが失敗し、ウルの城壁は破壊された。この反乱の鎮圧について語るリムシュの碑文は、反乱者たちをシュメール(šu-me-ri-mu)と表現しており、これは楔形文字文書において「シュメール」という表現を用いる最古のものである。 アッカド帝国はナラム・シン王の時代に最大の版図を形成したが、その子シャル・カリ・シャッリの死後には『シュメール王朝表』に「誰が王で誰が王ではなかったか」と記録される混乱期に入った。シャル・カリ・シャッリの治世の頃からグティ人、アムル人(マルトゥ)、エラム人の侵入が目立ち始め、特にグティ人とエラム人が重大な脅威となった。この混乱期を経てシュメールの有力都市も次第に自立していき、ウルはウルクの王ウトゥ・ヘガルの勢力下に入った。ウトゥ・ヘガルの配下の将軍としてウルに派遣されたのがウル・ナンムである。ウルを支配するウル・ナンムはやがて自立して「ウルの王」となった。
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