分裂の時代とは? わかりやすく解説

分裂の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 23:48 UTC 版)

浄土宗」の記事における「分裂の時代」の解説

西山義証空死後にその弟子たちが、証安の西山義証入東山義・証慧の嵯峨義・浄音の西谷義(現・西浄土宗浄土宗西山禅林寺派)・遊観本山義・立信深草義(現・浄土宗西山深草派)・聖達弟子一遍時宗などに分かれた鎮西義は良忠死後にその弟子たちが、鎌倉悟真寺良暁白旗派(現・浄土宗)・鎌倉善導寺尊観名越派・性心の藤田派(これらを関東三派という)・然空弟子清浄華院向阿証賢一条派道光三条派・良空の木幡派(これらを京都三派という)、さらに蓮華寺一向俊聖一向派などに分かれ浄土宗更なる分裂の時代を迎える事になったその後南北朝時代から室町時代にかけて、鎮西義の中でも藤田派の聖観・良栄、白旗派聖冏聖聡現れ宗派興隆して西山義及び鎮西義の他の流派圧倒した。特に第7祖の聖冏浄土宗に宗脈・戒脈相承があるとして「五重相伝」の法を唱え血脈教義組織化図って宗門統一しようとし、やがて白旗派鎮西義を統一していくこととなる。第8祖の聖聡増上寺創建し、その孫弟子にあたる愚底は松平親忠に乞われて大樹寺創建したまた、戦国時代には縁誉称念による専修念仏集団一心院流(捨世派)が成立して分派し天文17年1548年)には知恩院にある法然上人御廟向かい一心院建立している。 応仁の乱後白旗派の手によって再興され知恩院天正3年1575年)に正親町天皇より浄土宗本寺としての承認を受け、諸国浄土宗僧侶への香衣付与剥奪権限与えられた(「毀破綸旨」)。さらに松平親忠末裔である徳川家康江戸幕府開いたことによって浄土宗手厚い保護を受けることになる。特に知恩院28世の尊照増上寺12世の存応は、家康崇敬受けた。そしてこの二人によって元和元年1615年7月寺院諸法度一環として出された「浄土宗法度」が制定され幕府の命によって発布された。そこには知恩院宮門跡寺院第一位本山とされ、増上寺はこれより下位置かれたものの、「大本山」の称号宗務行政官庁である「総録所」(宗務所)が設置された。これにより白旗派主導する浄土宗鎮西義は幕府の手厚い保護を受けることになる。 また、このとき浄土宗西山義に対して別個に浄土宗西山派法度」が出されており、浄土宗とは違う対応がなされている。

※この「分裂の時代」の解説は、「浄土宗」の解説の一部です。
「分裂の時代」を含む「浄土宗」の記事については、「浄土宗」の概要を参照ください。

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