皇統分裂の時代
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後嵯峨天皇の子には、後深草天皇・亀山天皇の兄弟がいたが、互いに後嵯峨天皇の後継者たる治天の君の座を争い、その妥結として、両者の直系子孫が交互に皇位・治天位に就く両統迭立が行われることとなった。兄・後深草天皇の系統を持明院統、弟・亀山天皇の系統を大覚寺統というが、これが日本史上最大の皇位迭立となり、後世に大きな影響を与えることとなる。 しばらく両統迭立は順調に行われていたが、2つの皇統の存在を支えていたのが、かつての後白河天皇と八条院・二条天皇との対立の中で集積された2つの所領であった。後白河天皇ゆかりの長講堂領は持明院統、八条院ゆかりの八条院領は大覚寺統の所有となり、その経済力を背景に皇位継承を続けたのである。やがて鎌倉時代末期になると両統の内部で皇統分裂が見られ始め、迭立の混乱が生じてきた。その状況下で大覚寺統の後醍醐天皇は傍流出身のために治天の地位に就く権利が否定されており(つまり、子孫への皇位継承が出来ない)、この現状の打破を目指して幕府追討計画を2度にわたって立て(正中の変・元弘の変)、幕府により廃位・流罪に処されるも、結果として鎌倉幕府の滅亡をもたらした。勿論、王権復興を推進するためには皇統統一は欠かせないものであるが、後醍醐天皇の倒幕の最大の動機は自己の子孫への皇位継承問題にあったと言ってよい。京で復位した後、建武の新政を開始した。後醍醐天皇は治天の地位に就くことなく、約200年ぶりに天皇の地位のまま親政を行った。後醍醐天皇は両統迭立状態を解消し、自身の系統に皇統を再度統一したと考えていたが、その後、後醍醐天皇による新政に対して多くの離反が相次ぎ、離反勢力からなる室町幕府は、持明院統から光明天皇を擁立した。これにより、北朝(持明院統)と南朝(大覚寺統)の2つの王朝が同時に存在する日本史上未曾有の事態(南北朝時代)となった。北朝は、幕府の擁護を受けて、従来通りの院政を継続したが、南朝では後村上天皇以降、関白こそは復活させたものの、天皇親政を貫いた。1352年(南朝:正平7年、北朝:文和元年)、室町幕府内部の内紛に乗じて南朝軍が京都を占領して、北朝の崇光天皇ら主だった皇族を拉致してしまう(正平一統)。室町幕府は天皇の弟の一人が寺院に預けられている事を知って、急遽後光厳天皇として即位させた。後に南朝方は崇光天皇らを返還したものの、室町幕府は崇光天皇の復位を認めず、子孫には伏見宮の称号を贈って宥めようとした。だが、皇位継承が後光厳天皇の直系子孫による方針が決められたために、崇光天皇と伏見宮家による後光厳天皇と室町幕府に対する反感が高まって、北朝は事実上の分裂状態に陥ったのである。 時代が進み、北朝・室町幕府側の優位が明確になってくると、南朝側も妥結点を模索してきた。そこで仲介に当たったのが足利義満である。1392年(明徳3年)、持明院統(北朝)と大覚寺統(南朝)の迭立再開が提案され、南朝の後亀山天皇が条件受諾したことにより、北朝の後小松天皇とともに南北朝合一が実現した。しかし、1412年(応永19年)に称光天皇が即位するに際して、迭立再開の条件は撤回されることとなり、後小松天皇の直系子孫による皇位継承が宣言された。約束を反故にされた南朝側は憤慨し、後南朝としてその後も存続し続けた(太平洋戦争(大東亜戦争)後まで南朝子孫を名乗る者がいた)。 一見、南北朝合一により皇位継承は再び安定したように見られたが、もう一つの問題であった北朝内部の内紛は解消されなかった。更に後小松天皇には称光天皇しか男子がおらず(称光天皇の皇太子であった後小松天皇の第2皇子は早世、実はこの他に名僧として知られた一休宗純も後小松天皇の皇子であったが、政治的事情により、早くから出家させられて皇位継承権を失っていた)、更に称光天皇には子供がいない上に虚弱体質であったために、いつ崩御してもおかしくない状態となっていた。そこで当時院政を行っていた後小松天皇は崇光天皇の孫である伏見宮貞成親王に対して、万が一の際の皇位継承を極秘に要請した。ところがその話が称光天皇に伝わると、称光天皇は激怒して貞成親王を強引に出家させ、皇位継承権を剥奪してしまった。ところが、それから程ない1428年(正長元年)に、肝心の称光天皇が崩御してしまい、後小松系の皇統が断絶してしまった。そこで後小松天皇は貞成親王の皇子であった後花園天皇を擁立させたのである。これに対して旧南朝側では北朝側の皇統は断絶しており、傍流の継承は認めないとして各地で蜂起を起こした。一時は宮中に侵入した南朝側の武士によって三種の神器を奪われる(禁闕の変)などの危機にもあったが、室町幕府はこれを鎮圧、ここにおいて初めて真の「南北朝合一」が実現したのである。
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