皇統への言及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 04:39 UTC 版)
16 - 17世紀に日本を訪れたヨーロッパ人は、万世一系の皇統とその異例の古さというセオリーを受け入れていた。江戸時代、『日本書紀』研究者たちは、神武天皇が王朝を創建した年の計算を行っていた。この神話的な日本建国の年代を、ヨーロッパ人たちは西暦に計算しなおして報告していた。『日本誌』はそれを明治時代に制定された神武天皇即位紀元と同一の紀元前660年とした最初期の例である。 『日本誌』では以下のように説明している。 三番目かつ現在の日本の君主制、すなわち「王代人皇」[訳注:「天神七代」「地神五代」に続くもの]ないし「祭祀者的世襲皇帝」は、キリスト前660年に始まり、それは中国の皇帝恵王、中国語の発音ではフイワン(周王朝の第17代皇帝である)の治世17年のことである。この時からキリスト紀元1693年まで、すべて同じ一族の114人の皇帝たちが継続して日本の帝位についている。彼らは自分たちが、日本国の最も神聖な創建者である天照大神の一族の最も古い支族であること、そしてその長男の直系であり代々そうである事を極めて重んじている。 — エンゲルベルト・ケンペル、『日本誌』 続いて、「日本で書かれ刊行された2つの年代記を参照して」[要出典]、歴代天皇の名前と略伝を列記している。ケンペルは天地創造がキリスト紀元前4000年頃の出来事だという計算が信頼されていた時代の人であり、これを古代史の年代計算の妥当性の基準にしていた。『日本誌』の中では、日本のさる歴史家が中国の帝王伏羲の統治開始年をキリスト紀元前21106年と算出していることに触れ、それを棄却しつつ、上記の基準すなわち神による天地創造の以降とされた諸王朝の年代設定には寛容であった。
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