第1中間期の遺構
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 09:37 UTC 版)
「エジプト第1中間期」の記事における「第1中間期の遺構」の解説
第1中間期はエジプトの分裂のために労働力や建材の確保が困難になったと見られ、古王国時代のピラミッドや太陽神殿(英語版)のような大型建造物の出土例は少ない。まず古王国時代の代表的な建造物であるピラミッドの建造は、恐らく第7、第8王朝というメンフィスの政権によって建設が続けられていた。第8王朝のカカラー王が建設した小さなピラミッドがサッカラの南から発見されており、内部からピラミッド・テキストも発見されている。またヘラクレオポリス政権に仕えたと見られる州侯たちの墓が発見されている。ヒエラコンポリス州侯であった貴族アンクティフィの墓は建造物の少ないこの時代の遺構として特に貴重である。彼は「我に並ぶ者は過去にも未来にも出現しない」と墓に記し、その善政を誇っている。 第11王朝の初期の王達ももちろん墓を造営しており、テーベのエル=タリフにはアンテフ2世の墓がある。また彼はカルナックにテーベの主神アメン・ラーのための神殿を建造した。彼の建造物で現存する物は仕上げの荒い八角柱に刻まれたヒエログリフの銘文のみであるが、この頃から確認され始めるアメン神への信仰は、テーベ政権によるエジプト制覇によってエジプトの宗教に絶大な影響を与えていくことになる。 やがて第11王朝のメンチュヘテプ2世によるエジプト統一は建築にも画期的な変化を齎した。ルクソール近郊で発見されているメンチュヘテプ2世の葬祭殿はエジプトの分裂の時代が終わり、再び強大な国家となったことをその巨大さによって伝えている。
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