第1中隊の復帰・再度出陣
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「アンリ・フネ」の記事における「第1中隊の復帰・再度出陣」の解説
1945年4月26日夜、ベルリン・ノイケルン区ヘルマン広場に陣取るフランスSS突撃大隊のもとへ、ジャン=クレマン・ラブルデットSS義勇少尉率いる第1中隊が復帰した(同中隊は26日早朝から隣接するテンペルホーフ区守備隊に配属されており、夕方から夜にかけての激戦で半数の兵力を失った)。大隊は第1中隊の復帰を大いに喜んだ。 4月26日から27日にかけての夜、大隊長アンリ・フネSS義勇大尉に後退命令が通達された。その途中、フランスSS突撃大隊が現在戦っている地区の防衛司令官の要請により、またしても第1中隊が大隊と切り離されることになった。フネはフランス師団(「シャルルマーニュ」)の生存者たちを分離させず最後まで一緒に戦わせてほしいと頼んだが、それでもなお地区防衛責任者は戦線の穴を繕うために第1中隊を要求した。戦況が非常に逼迫していたため、最終的にフネも第1中隊の貸与に同意した。 第1中隊が大隊から出発する直前、フネはラブルデットに対し、いかなる犠牲を払ってでも生きて帰ってこいと伝えた。「任せてください」とラブルデットは答えたが、この勇敢なラブルデットの姿を二度と見られなくなることを危惧したフネはラブルデットの肩を抱いて言った。「部下と一緒に必ず戻ってくるんだ、必ずだぞ、わかったか?」 しばしの沈黙の後、ラブルデットは「ご心配なく。私は戻ってきます」と答え、フネと最後の言葉および握手を交わした後、第1中隊を連れて夜の闇に消えていった。あたかも自分が生還せぬことを知ったうえで戦いに臨む男のようなラブルデットの態度はフネを非常に心配させた。様々な思いを巡らせる中、フネは休養をとるようフネに椅子を差し出した部下の勧めも断り、グスタフ・クルケンベルクSS少将の「ノルトラント」師団司令部へ向かうことを決意した。
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