全日本プロレス参戦
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「ブランドン・シルベストリー」の記事における「全日本プロレス参戦」の解説
2013年9月に全日本プロレスの王道トーナメントに参戦。9月11日の初戦でダーク・クエルボで勝利するが、9月16日の曙との試合で脇腹を負傷、途中離脱した。 帰国後、怪我が8か月の重傷であることと、全日本側が契約上の義務である医療費を支払わなかったことから引退するとtwitterで発言した。
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全日本プロレス参戦
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「ハヤブサ (プロレスラー)」の記事における「全日本プロレス参戦」の解説
大仁田が全日本プロレス社長のジャイアント馬場に掛け合い、馬場がそれを認める形で全日本プロレスへの参戦が決まった。なお、川田利明の反対もあったが(川田は1997年2月の週刊プロレスのインタビューにおいて「馬場社長には大仁田さんに関わってほしくないんだよね…」と語っていた)、馬場はかつての愛弟子である大仁田の頼みを邪険に扱うことなく、ハヤブサの全日本参戦を承諾した(大仁田から直談判を受けた際、馬場は大仁田に「欲しいものがあったら言え」とだけ伝えたという)。そしてハヤブサは馬場同席で全日本参戦発表の記者会見まで馬場のお膝元であるキャピトル東急ホテルで開かれた(1997年3月3日)。 「'97チャンピオン・カーニバル」より全日本にスポット参戦。馬場には試合内容を高く評価され、気に入られたという。 全日本で人生とタッグを結成して小橋&志賀賢太郎組に勝利。FMWの川崎球場大会では、小橋&マウナケア・モスマン(現:太陽ケア)組と戦い、自らが小橋のラリアットに敗れた。年末には、人生とともに全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に参戦。強い格付け意識を押し出した当時のメジャー団体の中で、戦績は2勝7敗と振るわなかったが、多くの好勝負を展開。この年はFMWと全日本プロレスをまたにかけた活躍が評価され、年末のプロレス大賞で敢闘賞を受賞。 1998年4月、雁之助からFMW二冠統一王座を奪取して10月には格闘探偵団バトラーツの池田大輔とのタッグで冬木弘道&金村ゆきひろ(現:金村キンタロー)組から世界ブラスナックルタッグ王座を奪取。しかし、11月に冬木に敗れ、FMW二冠統一王座を失った。海外では、人生と共にECWに参戦。ロブ・ヴァン・ダム&サブゥー組が保持していたECW世界タッグ王座に挑戦。 1999年2月、全日本に参戦して人生とのタッグでアジアタッグ王座を奪取。その後、FMWで田中&黒田哲広相手にアジアタッグ王座防衛戦が行われた。 また、参戦時のエピソードとして全日本の道場で受け身の練習をしていたら入ってきた馬場が自分を見て首をかしげていたので「どうしましたか?」と聞くと「お前、受け身誰に教わった?」と訪ねられ「(ターザン)後藤さんです」と答えたら「そうか、後藤か・・・。いや、左右逆だなと思ってな」(つまり後藤が全日本時代受け身を左右逆に覚えていた)という話を自著に書いている。
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全日本プロレス参戦
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「ジェームス・ライディーン」の記事における「全日本プロレス参戦」の解説
2018年1月をもってZERO1との契約を解除。2月、全日本プロレスのチャンピオン・カーニバルにてディラン・ジェイムスとして出場を発表。 チャンピオン・カーニバルに先立つ3月25日さいたまスーパーアリーナ大会で、崔領二とのタッグでゼウス&ボディガーが持つ世界タッグ王座に挑戦し勝利、第82代世界タッグ王者となった。 初出場となった2018チャンピオン・カーニバルは、3勝4敗(勝ち点6)でリーグ戦敗退で終わるものの、優勝候補であった諏訪魔とゼウスに勝利した。 6月5日のディファ有明大会にて、パートナーの崔領二ともに、ジェイク・リーが結成した新ユニット「Sweeper」へ参加を表明した。 6月12日、後楽園ホール大会では宮原健斗の持つ三冠ヘビー級王座に初挑戦。場外乱闘も交えた猛攻で試合を優勢に進めたが、最後は宮原のシャットダウンスープレックスホールドの前に敗れた。 その後、世界タッグ王座は手放したものの、Sweeperの一員として活躍していたが、9月24日大阪府立体育会館大会で、タッグパートナーであるジェイク・リーをタックルで吹き飛ばし、対戦相手であったジョー・ドーリングとのツープラトン・パイルドライバーをジェイク・リー決めてSweeperを脱退、ジョーとの共闘を宣言した。 第41回世界最強タッグ決定リーグ戦は、ジョーとのタッグ「ザ・ボンバー」で参戦。最終日までに5チームが首位で並ぶ大混戦となったリーグ戦だったが、最終戦で諏訪魔&石川修司の暴走大巨人と対戦し勝利。平成最後の世界最強タッグ決定リーグ覇者となった。 2019年1月2日、後楽園ホール大会で暴走大巨人の持つ世界タッグ王座に挑戦したが奪取に失敗した。 2度目の出場となった2019チャンピオン・カーニバルでは三冠王者の宮原には及ばなかったが、リーグ戦2位タイとなる4勝2敗1分(勝ち点9)で終え、前年から躍進した。
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