全日本プロレス入門まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 20:14 UTC 版)
越中のプロレスとの出会いは小学校時代であり、当時は金曜日の8時からTVで放映していた。ぶつかり合いの迫力に子供心に圧倒された。中学時代に全日本プロレスを見てファンになる。中学時代は音楽にも熱中していたが、曲作りに必要な良いアイデアが出ないため音楽の道は断念した。高校時代は野球部に入り2年目はファースト、3年目はキャッチャーとレギュラーになるも、甲子園に行くことはできなかった。野球は団体競技であり、自分1人で競技を行って自分で試合に責任を持つことをしたいという越中の志向には合致しなかった。卒業後、電気工事関連の会社に就職するも、プロレスラーへの夢はあきらめきれず、高校時代の野球部の監督からレスリングの監督を通じてジャイアント馬場を紹介されて見習いを経て1978年7月に全日本プロレスに入門する。野球部の監督に相談しようと決意した際は「できっこない」と道場への紹介を拒否されると思っていたが、実際に思いを打ち明けると監督もかつてプロレスラー志望だったため夢を応援してくれた。 見習い期間中はジャンボ鶴田に練習を見てもらい、受け身を毎日500本近く取って基礎の腕立て伏せやスクワットをこなした。厳しい稽古であったが、折角監督に紹介してもらった手前投げ出すわけにいかず、生涯の仕事と思って家族の反対を押し切って飛び込んだ以上やり切ることにしたという。入門を正式に認めてもらって1ヶ月か2ヶ月経過した頃、当時巡業で毎日のように開催されたバトルロイヤルに出場。百田義浩からシューズを借りて出場したこのバトルロイヤルでは、ただ殴られて投げられてボコボコにされただけであった。
※この「全日本プロレス入門まで」の解説は、「越中詩郎」の解説の一部です。
「全日本プロレス入門まで」を含む「越中詩郎」の記事については、「越中詩郎」の概要を参照ください。
- 全日本プロレス入門までのページへのリンク