全日本プロレス再入団
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2012年1月2日後楽園ホール大会にて観客ジャッジを行い、90%以上の支持率を集め入団に合格する。2月1日付で正式再入団することが発表された。 2月3日、後楽園ホールで秋山が保持する三冠ヘビー級王座に挑戦。試合には敗れたものの、その日のうちにGET WILDとして世界タッグ王座への挑戦を征矢学と共に表明した。3月4日、同じく名乗りを上げたKENSOとカズ・ハヤシの「TEAMビチッと!」を破り、挑戦権を獲得する。3月20日、両国国技館でダーク・オズ、ダーク・クエルボ組とのタイトル戦に勝利し第61代世界タッグ王者となった。初防衛戦にて世界タッグを真田聖也、ジョー・ドーリング組に奪われるものの、すぐに取り返した。 2013年、武藤らの脱退にともなう全日本プロレスの分裂に際し、大森も残留を表明した。なお、負傷欠場中の征矢も当初は残留の意向だったが、12月31日付で退団ののち翌年WRESTLE-1に入団したためGET WILDも分裂状態となった。 2014年4月27日、チャンピオン・カーニバルの優勝決定戦において、大森の長年のライバルである秋山と対戦して激闘の末、スライディング式アックスボンバーで勝利、悲願のチャンピオンカーニバル初優勝を成し遂げた。試合後、大森は曙の持つ三冠ヘビー級王座挑戦に名乗りを上げた。 6月15日に曙の王座返上によって行われた三冠ヘビー級王座決定戦で、秋山を破り王座戴冠を果たした。6月28日、秋山と組んで諏訪魔、ジョー・ドーリング組の持つ世界タッグ王座に挑戦し、ドーリングをスライディング式アックスボンバーで破り王座を奪取した。これで三冠ヘビー級王座と合わせて五冠王となった。しかし、その22時間後の29日には諏訪魔に敗れ、三冠ヘビー級王座から陥落した。 2016年1月1日、全日本プロレスの取締役に就任する。同年春頃に「アックスボンバーズ」を再結成した。欠場中の征矢より復帰戦の相手に団体の垣根を越えて指名され、対決を経て結託。11月27日の全日本プロレス両国大会にてGET WILDが約3年8ヵ月ぶりに再結成された。その年の世界最強タッグ決定リーグ戦には、GET WILDで参戦し、史上3組目となる全勝優勝を成し遂げた。 2017年10月21日、横浜文化体育館にて秋山とともにデビュー25周年記念大会を開催、世界タッグ王座決定戦を関本大介&伊東竜二と争い勝利し、自身7回目となる世界タッグ王座を戴冠した。 2019年7月8日付けで、選手活動に専念するため取締役を退任した。 2020年12月13日、後楽園大会にて全日本プロレスTV認定6人タッグ王座の初代王者決定戦に出場。大森はブラックめんそーれ&カーベル伊藤と組んで、崔領二&レブロン&大門寺崇組を迎え撃ち、自身のアックスボンバーで勝利し初代王者チームに輝いた。
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全日本プロレス再入団
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2013年1月、金丸は行われた決起集会で小橋からバーニングを託された秋山をリーダーに潮崎豪、鼓太郎、青木篤志で再結成した。 1月26日、全日本プロレス「2013新春シャイニング・シリーズ」の最終戦に5人で来場し、参戦を発表する。 2月23日、全日本後楽園大会のメインイベントで近藤修司を破り、第35代世界ジュニアヘビー級王者となった。 7月5日、全日本に正式入団(再入団)。 2014年1月26日、全日本神戸大会で秋山と組んで鼓太郎&青木組を破り、第93代アジアタッグ王者となった。 2015年11月20日、同年12月15日のファン感謝デーを最後に全日本を退団することが発表された。
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