全日本プロレス参戦、史上初の六冠王者とは? わかりやすく解説

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全日本プロレス参戦、史上初の六冠王者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:50 UTC 版)

武藤敬司」の記事における「全日本プロレス参戦、史上初の六冠王者」の解説

その後武藤新日本とは距離をおきWCW中心に活動するつもりで渡米しグレート・ムタとして再びWCWリング上がる。しかし、WWF当時)より移ってきたビンス・ルッソーらからは評価されず、試合機会を満足に与えられ帰国WCWへの復帰エリック・ビショフ通して了解得ていたが、渡米した時には興行成績不振からビショフ解雇されており、ルッソーらからは「何しに来たんだ?」と屈辱的な事を言われ露骨に嫌そう扱い受けたという。 2000年12月31日大阪ドーム開催されINOKI BOM-BA-YE 2000国内復帰この間武藤猪木との対談DVDを出すなどしていたことから、蝶野一時期武藤までも猪木にとりこまれたか?と警戒感示したこともあった)。高田延彦一夜限りタッグ組みドン・フライケン・シャムロック組と対戦。この試合高田バックドロップシャムロックより勝利ちなみに武藤スキンヘッドになったのはこの試合からである(後述)。 2001年より新日本プロレス復帰1月28日全日本プロレス・東京ドーム大会参戦して太陽ケア勝利以後定期的に全日本参戦することになる。団体垣根超えた超党派ユニットBATTBAD ASS TRANSLATE TRADING)」を結成する武藤は新必殺技シャイニング・ウィザード引っ提げ史上初の六冠王者三冠ヘビー級王座IWGPタッグ王座世界タッグ王座当時プロレス誌のグラビアに、横たわった武藤胴体や顔にまで6本のベルト巻かれ写真があった)。ただし三冠ヘビー級王座世界タッグ王座事実上それぞれ一つタイトルであるので実際三冠王者となった。さらに全日本プロレス年末恒例大場所である世界最強タッグ決定リーグ戦制して同年プロレス大賞MVP選ばれる10月には全日本リング新日本プロレス所属同士蝶野正洋三冠が行われた。新日本プロレス全日本プロレス主力ベルトで、その時点で保持していないのは過去に自らも保持していたIWGPヘビー級王座のみとなり、武藤自身次の標的は「猪木イズム継承者藤田和之示唆していたものの、既に格闘技路線への疑問公言していたこともあり、遂に実現しなかった。

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「全日本プロレス参戦、史上初の六冠王者」を含む「武藤敬司」の記事については、「武藤敬司」の概要を参照ください。

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