全日本プロレス復帰後
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2013年1月に決起集会を開き、小橋から「バーニング」を託され、潮崎豪、金丸義信、鈴木鼓太郎、青木篤志を率いて再結成した。1月26日、全日本プロレス「2013新春シャイニング・シリーズ」の最終戦に5人で来場し、参戦を発表した。4月にはチャンピオン・カーニバルに優勝する。 7月5日、秋山を含むバーニングのメンバー5名が全日本プロレス入団を発表する。 2014年6月6日、新会社を設立し7月1日付けで社長に就任すると発表された。その後新会社の社名が「オールジャパン・プロレスリング株式会社」と決まり、代表取締役社長に就任し,7月1日より全日本の運営を引き受けた。 2015年9月26日、曙を破り王道トーナメント優勝を果たす。 2016年5月4日、WRESTLE-1後楽園ホール大会に来場。武藤敬司から8月11日のWRESTLE-1横浜文化体育館大会での対戦を要求され受諾。 2017年8月27日に両国国技館で8人タッグマッチを行う。大森隆男、岩本煌史、田中稔とのタッグで、ジョー・ドーリング、ゼウス、ボディガー、鈴木鼓太郎とのタッグと対戦。大森がアックスボンバーでボディガーを仕留めて勝利。このカードについては「ごった煮感が否めない」と言いつつ、だからこそ何か新しいものが生まれるかもしれないとの期待もあった。しかし試合が始まると岩本が鈴木にケンカ腰で向かい、試合が終わっても突っかかって来る岩本に対して「いいよ、サシでやってやる。受けるか受けないか、あのガキ次第だよ」と新たな火種が生まれた。 2018年に入り、盟友の大森、前年にプロレス大賞新人賞を受賞した青柳と、主力選手が次々に負傷欠場。これを受け一度は「引退」したチャンピオンカーニバル復帰を決意、自身のツイッターで「約束破っていいですか?」とつぶやき、2年ぶりにチャンピオンカーニバルにエントリーされた。 9月17日、後楽園ホールで開催された王道トーナメント1回戦で、ジェイク・リーに敗れた際に負傷。「左橈骨頸部骨折」と診断され、21日以降のこのシーズンを欠場することが発表された。 2019年7月8日付けで社長職を退任。後任に、オーナーとして携わってきた福田剛紀が新社長に就任した。秋山は取締役に留まりつつも、団体初のゼネラルマネージャーに就任し、現場に専念することとなった。 2020年1月16日のプロレス大賞授賞式の出席をもって取締役ゼネラルマネージャーを退任し、肩書きのない所属選手に戻ったことを明かしている。 3月2日、WWEパフォーマンスセンターのゲストコーチとして招聘されたことが発表された。期間は5月12日から22日まで。しかしながら、新型コロナウイルスの感染拡大により中止となった。
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