全日本プロレス移籍、社長就任
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「武藤敬司」の記事における「全日本プロレス移籍、社長就任」の解説
2002年1月、藤田和之を中心とした格闘技路線に重心を移した新日本プロレスでは自身のアメリカでの実績なども潰されることになると考え、弟分の小島聡、ケンドー・カシンおよび新日本プロレスのフロントスタッフの5名と共に新日本プロレスを突如退団。2月26日に全日本プロレスに入団する。この時武藤は「全日本プロレスに骨の髄までしゃぶっていただきたいと思います」という名言を残した。なお、この時本当は「骨を埋める覚悟で……」と言うつもりであったが、あがっていたせいで「骨の髄までしゃぶっていただきたいと思います」と言ってしまったのだという。その他に馳浩からの勧誘もあったとされる。 移籍直後のチャンピオン・カーニバルでは初出場にして優勝を果たした。G1クライマックスとチャンピオン・カーニバルの両方を制覇したレスラーは武藤が初めてである(2003年には小島聡、2005年には佐々木健介、2011年には永田裕志も達成)。7月20日の日本武道館大会では、黒師無双⇒武藤敬司⇒グレート・ムタと1日3変化で3試合をこなして、すべて勝利している。8月30日の日本武道館大会では、自らプロデュース興行を行った。10月には馬場元子社長から全日本プロレスの株式を譲り受け、オーナー兼社長となった。同年中には、K-1の石井和義と組み、エンターテイメントの要素を強く取り入れたプロレス「ファンタジーファイトWRESTLE-1(-レッスル・ワン)」という興行も行っている。2003年1月の東京ドーム大会では、ビル・ゴールドバーグとの夢の黄金タッグが実現。クロニックとの対決に勝利した。 2003年2月には盟友、橋本真也率いるZERO-ONEに全日本プロレスの選手を率いて乱入。「全面戦争、やるのかやらないのかはっきりしろよ!」という言葉で宣戦布告する。この後、全日本プロレスとZERO-ONEは激しい抗争を繰り広げることになる。また、4月29日に行われた「BAPE STA!! PROWRESTLING ZEPP TOUR」のZEPP FUKUOKA大会では覆面レスラーTHE APEMAN PLATINUMに変身した。
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