全日本時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 04:52 UTC 版)
1982年、高校3年生でレースデビュー。1984年、全日本ロードレース選手権国際B級125ccのチャンピオンを獲得。 1985年、国際A級に昇格し、激戦の250ccクラスにステップアップ(テクニカルスポーツ関東からのエントリー)。プライベーターながら最終戦鈴鹿でA級初優勝を飾る。 1986年、引き続きテクニカルスポーツ関東から250㏄クラスにエントリー。序盤戦はホンダ・RS250に乗っていたが、ホンダワークスの250ccエースであった小林大の調子が振るわなかった事もあり、ホンダは複数のトップクラスプライベーターにワークスマシンNSR250の貸与を開始。清水もその一人に選ばれ、第4戦筑波からNSR250を供給され、3勝をマーク。全日本最終戦日本GP(鈴鹿)では世界GPで4度のチャンピオン経験を持つアントン・マンクと2位を巡り大バトルを繰り広げる。最終ラップに転倒を喫するも、更に評価が高まる。 1987年、ホンダワークスHRCの契約ライダーとなり、チームメイトの小林大とともに青いストライプの味の素TERRAカラーのNSR250を駆る。世界GPデビュー戦となった開幕戦日本GP(鈴鹿)ではポールポジションを獲得。全日本では出場11戦中優勝7回・2位3回と圧倒的な速さをみせ、第10戦で早々とチャンピオンを決定。前年の清水のようにシーズン途中からワークスYZR250を手に入れた3歳年下の本間利彦の挑戦も退けた。チャンピオン決定後は全日本を欠場し、世界GPの南米ラウンド2戦に遠征。最終戦アルゼンチンGPでは予選2位からトップ争いを展開し、3位表彰台に立つ。ベテランの多い250ccクラスの猛者たちに交じり、海外初挑戦ながら堂々とバトルを演じた。
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