全日本時代 / WGP125cc
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:23 UTC 版)
「中上貴晶」の記事における「全日本時代 / WGP125cc」の解説
4歳よりポケバイに乗り始め、1998年(6歳)でポケバイレースデビューし優勝を記録する。2001年(9歳)からミニバイクレースに出場。ミニバイク全国大会で優勝し、最年少出場・優勝を記録する。その後もミニバイクレースで優勝を続け、全国大会では3年連続優勝を果たす。 2004年よりロードレースに参戦し、2005年は全日本ロードレース選手権GP125クラスにスポット参戦し、シリーズ13位となり、MFJルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞する。 2006年は全日本ロードレース選手権GP125クラスにフル参戦し、6戦6勝の完全優勝を史上最年少(14歳)で記録した。またMotoGPを運営するDORNAが開く「MotoGPアカデミー」のオーディションに合格し、その一環としてスペイン選手権 (CEV) への海外遠征も行った。2007年はスペイン選手権への参戦とともに、ロードレース世界選手権 (WGP) 最終戦バレンシアGPにて125ccクラスに初挑戦した。 2008年、16歳でWGP125ccクラスにフル参戦開始。イタリアのI.Cチームのアプリリアを駆り、決勝レース最高8位、年間ランキング24位。2009年はオンガッタ I.S.P.A.へ移籍し、決勝レース最高5位、年間ランキング16位。 2010年は125ccでのシートを見つける事ができず、日本に戻ることとなり、全日本ロードレース選手権ST600クラスに参戦。夏の祭典鈴鹿8時間耐久ロードレースにはハルク・プロより清成龍一・高橋巧とのトリオで出場し、第3ライダーとして決勝は走行しなかったが、鈴鹿8耐の最年少優勝者となった。 2011年は全日本ロードレース選手権、J-GP2クラスに参戦。後述の負傷の影響で欠場したレースもあったが、参戦した全てのレースでポールトゥウィンを飾る圧倒的な強さで、シリーズチャンピオンを獲得。この年はロードレース世界選手権日本GPにおいて、Moto2クラスに参戦していたクラウディオ・コルティの代役として、イタルトランス・レーシングチームから3年ぶりにスポット参戦を果たした。ウォームアップ中に転倒し、負傷のため決勝は欠場となったが、この一戦でのパフォーマンスが評価され、同チームからの2012年のMoto2クラス参戦が決定した。日本人ライダーが一度世界選手権におけるシートを喪失した後に再びフル参戦するのは、史上初のことである。
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