元老制度の形成とは? わかりやすく解説

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元老制度の形成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 13:47 UTC 版)

元老」の記事における「元老制度の形成」の解説

内閣制度発足し第1次伊藤内閣成立したが、大臣のうち6人が後の元老となっている。伊藤内閣の後の黒田清隆内閣第1次山縣内閣それぞれ前首相推薦によって成立した1889年明治22年11月21日伊藤博文黒田清隆対し大臣の礼によって元勲優遇の意を表す」という詔勅下された。これは通常元勲優遇詔勅」と呼ばれ大正期からは元老法的根拠とされていたが、伊藤之雄はこの詔勅により二人元老となったわけではない指摘している。伊藤山縣はのちに同趣旨の詔勅を4回受け、松方3回受けているが、この詔勅受けていない段階でも井上馨松方正義後継首相諮問受けている。この詔勅により伊藤やより若い世代松方などを「元勲」と呼ぶ動き広まった1891年明治24年)当初責任果たした山縣内閣山縣辞任決意後継伊藤推薦した伊藤固辞伊藤松方正義西郷従道推薦した1891年明治24年)5月 第1次松方内閣成立1892年 第1次松方内閣が行詰まりをみせると、6月29日元老会議開かれ伊藤黒田山縣松方出席井上馨山口県帰郷していたため参加できなかった。この会議では第2次伊藤内閣成立事実上決まり、「元勲会議」によって後継首相が決まる先例となった土方久元元宮内大臣伊藤に対して政府内にいなくても元勲の身で天皇諮問を受け、奉答することはけっして不当ではない」という書簡出しているように、こうした元勲たちが国政への助言指導を行うべきであるという認識強まった7月30日松方辞表提出すると、明治天皇伊藤山縣黒田善後処置を諮り、そして2日後には井上馨に対して後継首相意向尋ねた伊藤の伊皿子邸において、伊藤山縣黒田井上、そして山田顕義大山巌加えた会議が行われ、伊藤後継首相とすることが確認された。 1895年明治28年)に伊藤辞職意向をもち、後継首相に松方推薦したが、明治天皇辞表却下している。1896年明治29年)に再び伊藤辞表提出すると、伊藤後継指定しなかったこともあり、天皇山縣黒田井上、そして松方諮問する意向持っていた。参内し黒田松方対し天皇山縣首相としてはどうかと諮った。しかし山縣病気理由辞退したため、第2次松方内閣成立したこのころ清浦奎吾白根専一天皇が「元老召す」という書簡出しており、東京日日新聞でも9月1日に「黒田伯をはじめ元老諸公」が相談をすると報じており、9月3日には「所謂元老会議」という記事掲載し大阪朝日新聞も4人の「元老」と記述している。東京日日新聞は「元老なる文字から解釈」すれば、川村純義副島種臣佐佐木高行海江田信義福岡孝弟元老ではあるが、今回会議は「一種元老を限れるもの」としている。1892年から1895年ごろまでは「元勲」「元勲会議」の語が主に使われていたが、1896年8月以降は「元老」「元老会議」の語が使用されるようになっていき、制度として公然化していくこととなる。ただ天皇は内閣存続に関する問題全て元老下問したわけではない1897年明治30年)に松方内閣崩壊すると、明治天皇黒田清隆一人後継首相下問した。黒田伊藤山縣が適当であると奉答し、天皇伊藤組閣命じた渋る伊藤黒田山縣説得して出馬させた。第3次伊藤内閣成立前伊藤は「元老」を召して内外情勢対応する会議開催奏請した。この会議出席予定者は伊藤山縣黒田井上松方加え大山巌西郷従道加わったものであった1月10日行われた会議には辞職直後である松方出席しなかったものの、内大臣徳大寺実則が「元老参朝」という表現使っている。これ以降天皇はじめとする宮中元老たちに下問することを事実上制度として認識するようになった伊藤枢密院強化し構成員でもある元老その中で首相奏薦を行うことを考えており、1896年にもその旨手記記している。しかし枢密院内部対立激化していたため、当面藩閥実力者の間で決めていくしかない判断している。 元老内では特に伊藤山縣強い影響力持っていた。しかし伊藤立憲政友会結成により元老内、官僚内での勢力低下させ、山縣枢密院陸軍官僚通じて伊藤に並ぶ強大な影響力持った井上伊藤補佐的な役割をしていたが、剛毅性格彼に首相なれないことの屈折もあった。松方財政専門家として名をあげ、財界のみならず開拓使官有物払下げ事件以来影響力低下させていった黒田後継となる薩摩閥の代表として扱われるようになった。しかし松方性格弱く伊藤協力的であったために薩摩閥の失望買った西郷海軍大山陸軍代表する存在であったが、大山陸軍内の意向に従う傾向があり、黒田西郷没後会議内のバランスをとるためしばらく元老会議メンバーから外されている。

※この「元老制度の形成」の解説は、「元老」の解説の一部です。
「元老制度の形成」を含む「元老」の記事については、「元老」の概要を参照ください。

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