元老待遇者をめぐる諸説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 13:47 UTC 版)
また佐々木隆は第1次山縣内閣の総辞職後に山田顕義(長州)が元老に相当する元勲とともに後継総理大臣の奏薦を行っており、山田が早世(1892年に49歳で死去)のために正式な任命の手続を得られなかった事実上の元老であった可能性を指摘している。なお佐々木は、後になって任命された桂・西園寺を除いた7名と山田を加えた8名をもって帝国憲法下における「薩長元勲」と位置づけている。 荒船俊太郎は2度目の辞任の際と、裕仁親王が摂政に就任した際の御沙汰書により、大隈重信が元老待遇を受けたとしている。しかし伊藤之雄は他の元老が認めておらず、また大隈自身も元老としての活動を行っていないことから適当でないとしている。なお、昭和天皇即位の際に首相若槻禮次郎、閑院宮載仁親王が西園寺と同時に、類似した詔勅を受けているが、元老とみなされることはない。 原敬については平田東助が「原が居れば別だが、種切れなり」と評したように、首相退任後に生存していれば元老になったものとみられている。伊藤之雄は加藤高明についても同様の評価を行っている。
※この「元老待遇者をめぐる諸説」の解説は、「元老」の解説の一部です。
「元老待遇者をめぐる諸説」を含む「元老」の記事については、「元老」の概要を参照ください。
- 元老待遇者をめぐる諸説のページへのリンク