元老院支配の終わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/07 20:19 UTC 版)
「ウェルケラエの戦い」の記事における「元老院支配の終わり」の解説
更に旧態依然の主張を続ける元老院に対し、マリウスは「戦場においては、同盟市民とローマ市民の差は何もなかった」と一蹴し、そればかりか独断で軍に加わっていた同盟市民にローマ市民権を与える行動に出た。これは共和制が始まって以来、将軍が元老院を軽蔑的に扱った最初の例であった。また閥族派である政敵のルキウス・コルネリウス・スッラも(元老院の権威を守る為とはいえ)、元老院の指示を無視して軍をローマに進駐させており、元老院の権威が衰えた事を示している。 最終的にマリウスの義理の甥であるガイウス・ユリウス・カエサルによるルビコン川の渡河によって、元老院の権威は完全に地に落ちる。
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