元老院議事堂、カエサル暗殺
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「ポンペイウス劇場」の記事における「元老院議事堂、カエサル暗殺」の解説
ポンペイウス劇場は、舞台後方のポンペイウス回廊で有名な殺人が行われたことでもよく知られている。その広大な庭園内の聖域に近く劇場本体から遠い部分に元老院の議事堂としても使われた集会所があった。 紀元前44年の3月15日(ローマ暦)、カエサルは元老院に出席する予定があった。前夜暗殺団の一味であるサーヴィリウス・カスカ から暗殺計画の概要を知ったマルクス・アントニウスは、最悪の事態を恐れ、カエサルが議事堂に入るのを阻止すべく待ち構えていた。しかし、元老院議員の一団がポンペイウス劇場から出てきたカエサルに東側のポルチコに隣接する部屋に行くよう指示した。 プルタルコスによれば、カエサルが到着すると同時に暗殺団の一味である Tillius Cimber が寄ってきて、追放された兄弟の復帰の請願を訴え始めた。それをきっかけとして、共謀者らがカエサルの周りに群がった。プルタルコスとスエトニウスによれば、カエサルはCimberを振り払ったが、Cimberはカエサルの肩をつかみ、彼のチュニックをひっぱった。カエサルはCimberに対して「なぜ暴力をふるう! ("Ista quidem vis est!")」と叫んだ。同時に、前述したカスカが短剣を取り出してカエサルの首めがけて一閃させた。カエサルは素早く振り返り、Cascaを腕でつかみラテン語で「カスカ、悪人め。何をする?」と言った。おびえたカスカはギリシア語で「助けてくれ、兄弟」("ἀδελφέ, βοήθει!", "adelphe, boethei!")と叫んだ。その瞬間にブルトゥスを含む暗殺団全員がカエサルに襲い掛かった。カエサルは逃げようとしたが、血が目に入って見えず、つまずいて倒れた。ポルチコの階段の下の方で無防備となったカエサルを一団が再び刺し続けた。Eutropiusによれば、60人以上が暗殺に関与したという。カエサルは23カ所を刺されていた。スエトニウスによれば、後に医師が致命傷はそのうちの1カ所(胸の傷)だけだったと証明したという。 古代ローマ史上最も重要な事件であり、共和政ローマからローマ帝国への移行の遠因となった事件だった。 カエサルが暗殺された場所は、元老院の議事堂があった他の場所と混同されて文献に記されていることがある。最初の議事堂は紀元前7世紀にトゥッルス・ホスティリウスが建設したクリア・オスティリアで、紀元前80年にルキウス・コルネリウス・スッラが建て替えている。この議事堂が火災で焼失したため、カエサルが新たに建設させていたのがクリア・ユリアで、暗殺時には未完成だった。 ポンペイウス劇場内の議事堂があった場所は、今は道路の下にある。ただし、そのすぐ近くの「聖域」の壁の一部はムッソリーニが発掘させた。
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