元老院決議の時代
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「セナテュス=コンシュルト」も参照 共和暦10年(1802年)の憲法修正によって元老院議員の地位が強化された。これにより元老院は、憲法上規定がないがその執行上必要な事項について、法的拘束力をもつ元老院決議によって規定することができるようになった。例えば、1802年の亡命貴族(英語版)の恩赦のような手続が行われた。 元老院議員の数は120名までとされた。第一統領ナポレオンは元老院を召集・主宰し、選挙会によって選ばれた市民の名簿に基づき補充議員候補者3名を提示する権限をもち、主体的に元老院議員を任命することもできるようになるなど、元老院の活動と構成を直接統制できるようになった。
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