像の概要
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「法隆寺金堂釈迦三尊像」の記事における「像の概要」の解説
国宝。指定名称は「銅造釈迦如来及両脇侍像」(どうぞう しゃかにょらい および りょうきょうじぞう)。金堂「中の間」本尊であり、内陣中央部、木造二重の箱形台座(その形状から宣字形台座と称する)の上に、中尊の釈迦如来坐像と両脇侍菩薩立像が安置される。三尊全体の背後に大型の蓮弁形光背(挙身光)があり、これとは別に両脇侍はそれぞれ宝珠形の光背(頭光)を負う。銅造鍍金で像高は中尊が87.5センチ、左脇侍(向かって右)が92.3センチ、右脇侍(向かって左)が93.9センチ(以下、混乱を避けるため、左脇侍を「東脇侍」、右脇侍を「西脇侍」と呼称する)。台座は総高205.2センチ、光背高さは177センチで、台座の最下部から光背の最上部までの高さは382.2センチである。 中尊は施無畏与願印(右手は胸の辺に上げて掌を正面に向け、左手は掌を上に向けて腰のあたりに構える)を結んで坐す如来像で、服制は僧祇支(下衣)の上に大衣を通肩に着し、胸前に僧祇支の線が斜めに見えている。腹前に見えるのは僧祇支の紐の結び目である(これを下半身にまとう裳の結び目であるとする説もある)。面相は面長で、杏仁形(きょうにんけい=アーモンド形)の眼、軽く笑みを浮かべるように見える唇(アルカイック・スマイル=古拙の微笑と称される)、長い耳朶に孔を開けない点、三道(頸部のくびれ線)を表さない円筒状の頸部、長く伸ばした爪などに図像上の特色がある。台座前面には大衣と裳の裾を長く垂らしている(裳懸座)。台座に垂らした裳裾は、垂直に垂れ下がるのではなく、左右に勢いよく反り返っている。三尊と裳懸座、光背を含んだ全体が二等辺三角形に収まるような構成になっている。 両脇侍像は蓮華座上に直立し、上半身に僧祇支、下半身に裳をまとう。両脇侍像の名称は寺伝では「薬王菩薩・薬上菩薩」とされ、鎌倉時代の『聖徳太子伝私記』にもこの尊名がみられる。しかし、釈迦如来の脇侍の名称を「薬王菩薩・薬上菩薩」とすることは、日本古代にも中国南北朝時代にも例がなく、後世に付された名称とみなされている。後世の三尊像では、左脇侍と右脇侍は両手の構えなどを対称形に表すのが普通だが、本三尊像の両脇侍は左右ともほぼ同形である(以下の脇侍像に関する説明は、特に断らない限り東西脇侍像に共通)。両脇侍像は三山冠をいただき、右手を胸、左手を腹のあたりに構える。右手は第三・四指を曲げ、第三指と掌の間に玉を保持する。左手は第一指と第三指で玉を持つ。三山冠の正面中央には忍冬文を表し、最上部には三日月形の上に宝珠を載せたイラン風の意匠を表す。頭部の両脇に冠の垂飾を垂らす。両肩には垂髪を左右対称に図式的に表す(「蕨手状の垂髪」)。天衣は下半身正面でX字状に交差した後、両腕に掛かり、左右の体側へ流れている(「鰭状の天衣」)。胸部には中央部が尖った形の胸飾りを付ける。胸前に見える僧祇支の縁、その下の腹帯、裳の折返し部などに忍冬文を表し、腹帯と裳に挟まれた部分は菱形に区画した中に山岳樹木文を表す。両脇侍像は正面から見ると丸彫像のように見えるが、背面は空洞で、背面の造形を全く省略している。各脇侍像の台座は、銅製の蓮茎の上に蓮弁と蓮肉を載せたもので、蓮弁はそれぞれ6弁を打ちだした銅板3枚を重ねたものである。東脇侍と西脇侍は一見するとまったく同じに見えるが、子細に見ると西脇侍の方が彫りが深く、体の奥行も厚い。このため、西脇侍と東脇侍とには制作年代の違いがあるのではないかとする説もある。西脇侍では冠帯と耳朶は密着しているのに対し、東脇侍では両者の間にはわずかに隙間がある。鋳造技術上は、隙間を空けて鋳造する方がむずかしく、この点も両像の制作年代に差を認める説の根拠になっている。両腕から体側へ垂れる天衣は、東脇侍・西脇侍ともに中尊に近い側が長く、反対側が短くなっている。中尊の裳懸座の陰に隠れてしまう天衣をわざわざ長く作るのは不自然であることから、東西の脇侍は場所が入れ替わっているのではないかと言われてきた。『昭和資財帳』の調査時の所見では、当初安置する際に、光背の枘穴と像の枘とがうまく合わなかったため、左右逆に安置したと見られている。
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