倫理観・転生思想・精神の物質化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 14:44 UTC 版)
「ニューエイジ」の記事における「倫理観・転生思想・精神の物質化」の解説
ニューエイジの独特の点として、前向きであることを重視し、「障害」や「否定性」を全く認めないことがあげられる。これは現実世界に対し、自身の望みどおりになるよう要求する主張であるともいえる。前向きな思考・姿勢は、たとえ甘い認識に基づいた浅薄な態度であろうとも、高い目標に到達するための手段として支持される。こうした考えは世界の代表的な宗教と最も異なる点であり、伝統的な宗教に見られる天罰・原罪などの罪と罰の観念はニューエイジには全く見れらない。「善悪」の区別はなく、人の行いは覚醒の結果か無知の結果であり、罪があるとされることはなく、そのため「許し」も必要ない。教皇庁は、ニューエイジでは自己否定を行うことがないため、キリスト教でもないが、仏教でもないと述べている。ニューエイジにおけるカタルシスにふさわしい言葉は、「救い」ではなく「癒やし」である。宗教学者の島薗進は、「救い」の観念の欠如が、ニューエイジでは多くの救済宗教で強調される「同胞愛」や「奉仕」の精神があまり見られないことと、深く関連していると指摘している。 オランダの西洋エソテリシズム研究者ヴァウター・ハーネフラーフ(英語版)は、ニューエイジの特徴として「スピリチュアル・マテリアリズム」があり、それは「精神的な豊かさが物質的な豊かさに直結する」、端的に言うと「精神が物質化する」という考え方であるとしている。精神・思いが物理現実に「影響」を及ぼすと考え、「運命」はコントロール可能でそれを変えるのは「自己責任」とされ、暗黙に「不幸」も自己責任である。ニューエイジャーにとって、「助け合い」を義務と考えたりそれに喜びを見出すような態度は、奴隷的従属や自己放棄に見え、さほど褒められるものではない。否定的な気持ちを解決するのが「愛」であるとされるが、行動として示すものではなく、心の持ち方であり、「高波長の波動」であるという。 生まれ変わりの思想は東洋で輪廻として伝統的に見られるが、ニューエイジは転生思想を神智学から直接継承している。西洋の生まれ変わりの思想は、東洋の輪廻観より「はるかに楽観的」で、「生の繰り返し」を通して「学び」、個人が段階的に完成していく過程であるとされた。心霊主義、神智学、人智学同様に、ニューエイジでは生まれ変わりは宇宙の進化への参加であると考えており、潜在能力の完全な開発に向けた段階的上昇であるとしている。トランスパーソナル心理学にある「高次の自己(ハイヤー・セルフ)」という概念が信じられ、霊的発展はこれと接触することであるとされた。生まれ変わりの思想は、ニューエイジではキリスト教伝統の神の裁きに関する教えを超えるものとされ、地獄の概念を不要にした。伝統的な宗教では天罰と見做されるような困難との遭遇は、「スピリチュアルな成長」のためのチャンスであり、地上の人生はスピリチュアル発達のための「学びの場」である。人間は自分の現実を創造することができるので、自分の人生は、「病気」でさえ自分で選んだものであるという。夢や瞑想によって前世を知ることができるとされた。 強く思えば願望が叶うというニューソート的なポジティブ・シンキング(積極思考)とニューエイジは同一視して語られることもあり、セラピー文化の中の消費主義的な流れ、霊的成功と物質的成功を結びつける考えとの関連も指摘されている。表象文化研究者の加藤有希子は、ニューエイジ・自己啓発・スピリチュアルにおける、シンクロニシティ、引き寄せの法則、「あなたの思いが実現する」ことといった非因果的連関への信仰の契機は「狂気」であり、非因果的連関・偶然の一致を体験した時の快楽「ヌミノース」がその信仰の核心になっていると指摘している。ヌミノースという快楽を誰でも手軽に体験しようというのが、ニューエイジやスピリチュアルにおける営みであるという。
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