今村天主堂とは? わかりやすく解説

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今村天主堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 23:38 UTC 版)

今村天主堂(いまむらてんしゅどう)は、福岡県三井郡大刀洗町大字今にあるキリスト教カトリック)の聖堂である。今村教会堂(いまむらきょうかいどう)などの名でも呼ばれる。1913年大正2年)に竣工した赤煉瓦造りの天主堂(鉄川与助設計)は、国の重要文化財に指定されている。


注釈

  1. ^ ジャン・マリー・コール (Jean-Marie Corre)神父
    1850年6月28日フランスのブリュターニュに生まれる。1875年パリ外国宣教会宣教師として来日、主として天草地方において伝道に従事した後、長崎の神学校に教師として配属された。その後、熊本に転じ苦難の中にハンセン病患者の救済に当たり収容施設である待労院を設立した。1911年2月9日熊本で死去。
  2. ^ 本田保神父 1855年(安政2年)長崎市にて誕生。母は浦上の本原出身、父は大分出身で妹誕生後間もなく死去。1870年(明治3年)浦上四番崩れの際、母と妹を含めた、男女91名とともに高知に流された。このとき本田は15歳であった。東京及び長崎の神学校で学び、開港後第2番目の邦人司祭として1887年(明治20年)叙階される。長崎神学校教授就任3年間教鞭を執る。病気退職。コール神父に従い八代で2ケ年布教。その後上五島江袋で布教。1896年(明治29年)9月福岡の今村教会主任司祭就任。以後32年3ケ月間司牧。晩年は1928年(昭和3年)12月蔭尾島教会に隠退、なお天主堂聖堂改築、司祭館新築のため奔走した。1932年(昭和7年)2月17日長崎医科大学病院にて死去。長崎市高尾町赤城墓地に埋葬。『人物による日本カトリック教会史』池田敏雄著、中央出版社、1968年、pp.168-170

出典

  1. ^ 今村信徒発見150周年記念ミサ式典のご案内”. カトリック福岡司教区 (2017年1月23日). 2017年4月18日閲覧。
  2. ^ a b c 今村天主堂”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2017年4月18日閲覧。
  3. ^ a b c 今村天主堂”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2017年4月18日閲覧。
  4. ^ a b 福岡県国・県指定文化財:有形文化財” (PDF). 福岡県. 2017年4月18日閲覧。
  5. ^ a b 『人物による日本カトリック教会史』池田敏雄著、中央出版社、1968年、p.169
  6. ^ 平成27年7月8日文部科学省告示第119号
  7. ^ 「倒壊恐れ」老朽天主堂、立ち入り禁止に気をもむ信徒”. 西日本新聞 (2021年6月10日). 2022年8月19日閲覧。
  8. ^ 今村天主堂の使用及び見学について”. カトリック今村教会 (2021年1月13日). 2022年8月19日閲覧。
  9. ^ 文化庁文化財保護部「新指定の文化財」『月刊文化財』623、第一法規、2015、pp.24 - 25


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