五冠へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 01:29 UTC 版)
2008年8月、第33期碁聖防衛戦で山下敬吾棋聖に1敗のあと3連勝し碁聖位3連覇。10月には第47期十段戦で二十五世本因坊治勲・黄翊祖七段を破り挑戦者となる。11月6日には第33期名人防衛戦で史上最年少の挑戦者井山裕太八段(19)を4-3で降して名人防衛を果たす。15日、第15期阿含・桐山杯決勝で高梨聖健八段に勝利し優勝・3連覇。12月4日、第34期天元戦で3連覇中の河野臨天元に3-0で勝利し初の天元位。8日、第56期王座戦で山下敬吾王座に3-1で勝利し3期ぶり通算4期の王座位。そして史上4人目となる七大タイトル四冠になる。 明けて2009年4月16日、第47期十段戦で高尾紳路十段を3-1で破りタイトル奪取。史上初の五冠(名人・十段・天元・王座・碁聖)を獲得した。 この五冠のあと足の帯状疱疹に悩まされていた。激痛が続き数か月はまともに歩けない状態が続いた。この頃自己最多の17連勝を記録した。 10月、第34期名人位はリーグを8戦全勝で通過してきた井山裕太八段(20)が再び挑戦してくる。この時、張は春先の帯状疱疹にかかりで体調が完全に戻っていなかったため、早期決着しか無いと思っていた。しかし第2局目で意外な手を打たれ対応を誤り敗北。この敗戦が響きそのまま一気に押し切られ1-4で最年少名人誕生を許すとともに五冠も終了した。井山は去年よりさらに強くなっていた。 2010年2月には山下敬吾の持つ棋聖戦に初挑戦し、4-1で奪取。初の棋聖位を獲得すると共に、趙治勲に続く史上2人目のグランドスラム(現行七大タイトルを全て経験)を達成した。8月、碁聖位4連覇中で名誉称号の資格がかかった第35期碁聖戦では初めて挑戦手合に勝ち上がってきた関西棋院の坂井秀至七段に2-3で敗れてしまう。 2012年11月、4連覇中で再び名誉称号の資格がかかった第60期王座戦ではすでに四冠となっていた井山裕太本因坊(十段・天元・碁聖)の前に0-3と完敗。自身以来2人目となる五冠王誕生を許す。さらに翌2013年は棋聖も井山に取られ無冠になるとともに、井山は張の記録を更新する六冠となる。 タイトルが取れなかった4年間は長く感じ、もう永遠にタイトルを取れないのではないかという不安も出ていたと同時に「まぁでも勝負の世界はこんなものかな」と自分ではある程度納得してたが周りの期待を負担に感じることもあった。碁に対して悩んでおり、ひと言では言い尽くせないほど自分の状態もよくなく、碁への情熱も少し失いかけていた。現状を打開するために思い切ったことをしなければと思い、子育てのことや自分の両親のことなども含めて考え、2015年5月に家族で台湾に生活拠点を移す決断をした。妻の小林泉美六段や子どもも一緒であり、小林泉美は日本棋院に休場を申し出た。張自身は対局のあるときは日本で過ごしたので、日本にいる時間のほうが長かったのが、台湾にいる間は違う生活スタイルになった。台湾の棋士とも多数交流し、早碁も沢山打ちその中で自信をつけていった。その結果、やはり碁が好きだということを改めて思った時間になった。他にも、台湾でプロを目指す子どもたちに碁を教えたり、教材を作ったり、自分がやりたかったことができ充実した時間を過ごせた。 2016年に4度目となるNHK杯テレビ囲碁トーナメントで優勝し、約4年ぶりとなるタイトルを獲得。7月、日本に再び生活拠点を戻す。 2017年1月19日、第43期碁聖戦の予選で史上25人目の公式戦通算900勝を達成(388敗2持碁1無勝負)。36歳11か月での達成は山下敬吾九段を上回り最年少記録。入段から22年9か月での達成は史上2位。達成時勝率.699となり史上2位。棋聖戦Aリーグ1位となりSリーグ昇格。 2018年8月、第43期名人戦リーグで8戦全勝で挑戦権獲得。七大タイトル挑戦手合進出は2013年第61期王座戦以来約4年半ぶり。名人戦挑戦手合は自身が失冠した2009年以来9年ぶりで、相手は同じ井山裕太である。11月2日、第43期名人戦で井山裕太名人に1-3と王手をかけられたがその後3連勝し4-3でタイトルを奪取。 翌2019年、6年ぶりのタイトル防衛戦となった第44期名人戦では19歳の芝野虎丸が挑戦者になった。初戦は制したものの、その後4連敗し失冠、1-4と、奇しくも10年前の第34期名人戦と同じスコアで二度目の最年少名人誕生、及び最年少七大タイトル獲得を許すこととなった。
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