三番叟透図鍔とは? わかりやすく解説

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三番叟透図鍔

さんばそうすかしずつば
江戸中期
長門国細工町
地竪丸形肉彫透
縦:83.8ミリ横:81.8ミリ
切羽厚さ3.3ミリ
重要刀装

南北朝時代大内義弘により京都文化長門国移入されたが、これを細胞として育まれた、この国振り雅な美術芸術などへの指向大内文化称している。

鎌暮時代守護大名として中国地方勢力伸ばした大内氏は、義弘の代に南北両朝合一深く関わって権力不動のものとした。義弘応永の乱によって没しているが、その勢威文化引き継がれ室町時代通じて深く浸透している。そして後に大内氏打ち破ってこの地を支配した毛利氏また、大内氏築いた文化指向継承したであった

戦国時代京都混乱は、一部鐔工大内氏の許に走らせた。古(こはぎ)と呼ばれる一類を遺した鐔工もそれと考えられており、また、桃山時代から江戸時代初期にかけては、埋忠派の金工長門移住しており、これが江戸時代長州鐔工名流岡田家成して幕末まで繁栄している。さらに江戸時代中期以降長門鐔工は、江戸伊藤派技術交流盛んにし、互いに往還して作品を遺しており、正確で写実的、しかも立体的な構成になる高彫表現になる作風長州鐔の特徴ともなっている。

このように長州鐔工流れ俯瞰すると、中井(なかい)善助(ぜんすけ)家は地に布目象嵌巧みとする肉彫地透高彫表現になる作風から、京都にあって華麗な表現為した正阿弥(しょうあみ)派を祖とし、その技術携えて毛利家招かれ、あるいは独自の作風生み出すべく新天地求めて移住した者の流れを汲む工と考えられる

長州鐔工界の中心的存在にあった友恒(ともつね)は先代友幸の子で、安永八年八十五歳没、又は同九年七十五歳没とあるところから、元禄八年あるいは宝永三年生まれ宝暦年間より長門毛利家抱えられ毛利重就治世下で作品を遺している。鐔の製作を産業とした長州は、江戸対比されるほどに多く鐔工数えるが、友恒は殊に群を抜いて優れた感性示しており、伊藤派の正確緻密な植物図や雪舟水墨画をみるような山水図鐔を専らとした、多く鐔工とは異な世界観持っていたことが想像される

友恒には、地を巧みに造形して大胆かつ動感ある図取りとし、微細な毛彫加えた肉彫地透的確な金の布目象嵌施し引き締まった空間創出し作品を見るが、ここに紹介する我が国古代思想形式として鮮明に伝え能楽取材した翁図鐔も、異色ながら友恒の個性特徴良く現われている。


緻密な地を竪丸形造り込み、耳を以て空間切り取りその内部に翁(おきな)の格調高い舞い場面描き表わし、各要素いずれも陽に彫り出しているが、背景には能舞台象徴する一本松唐草扇面散らしを細太の線で表わして南蛮要素忍ばせるバランスのとれた布置複雑な地透により、主題生気帯びて躍動感を生み、鐔面を超越して空間融け込んでいるかの如く自然味がある子細に観察すると、背景文様には精密な毛彫加えられ、しかも唐草には、緻密な毛彫と共に拡大鏡なければ観察し得ないような微細な金による針状象嵌施されており、技術的な視点においても感動的。翁の面は銀と赤銅厚手象嵌表情豊かに紡ぎ出す正確な肉彫、手にする鈴も金の象嵌動きのある姿態と足の運びには能楽所作表現されて見事と言う他はない。

三番叟透図鍔




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