三平一門の結束と矜持
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「林家三平 (初代)」の記事における「三平一門の結束と矜持」の解説
三平の一門弟子たちは、三平没後久しい現在もなおその結束の固さで芸能の世界に知られている集団である。 落語の世界においては、師匠の死去を区切りとして一門が解散するのが通例となっている。だが、三平の門下たちは、林家こん平を中心人物として三平の死後も長らく「三平一門」として事実上の一派を成してきた。三平は落語家以外にも林家ペー・林家パー子や林家ライス・カレー子といった漫談家・漫才師も育てているが、何れも三平門下として三平の芸の系譜を受け継いでいることを大切にしており、この一門の結束の固さは落語界でも特筆すべき存在である。 これらの背景には上述の落語協会分裂騒動がある。三平が逝去した1980年秋当時の落語協会にはこの騒動の後遺症がまだ色濃く残っており、以降、騒動の経緯から三平とその一門と、三平の師匠(こん平たちから見れば大師匠)である7代圓蔵の一門などの間にはある種のわだかまりが残っていた。また7代圓蔵も三平に先立つ1980年5月に死去しており、その一門は事実上の解散となっていた。そこに来て三平が50代半ばで死去したから、修行中の三平の弟子たちは同系の師匠を頼るに頼れず行き場を失った事実上の「落語界の孤児」とでも言うべき状態となり、結果として総領弟子で当時三平一門生え抜きでの唯一の真打でもあった林家こん平が一門をそのまま継ぎ、弟弟子たちはそのままこん平の弟子になった。そして、その背後には海老名家(未亡人の海老名香葉子)と義兄の中根喜三郎が依然としてバックに付き、事実上のオーナー的存在となった。既に真打となって8年を経た身であったとはいえ、この様な形で三平に代わり年若くして一門を率いて否応なく独立独歩の道を歩む事になったこん平が、分裂騒動でギクシャクした落語協会の人間関係の中で如何に辛酸をなめさせられたかは、香葉子の著書『おかみさん』に描かれているとおりである。 その様な過酷な状況を一門は一丸となって乗り越えながら、三平の弟子・孫弟子から数多くの真打を誕生させた。そして、一門に名を連ねた三平の息子2人も落語家として育て上げ、ほぼ四半世紀を費やしながらついには泰孝に正蔵、泰助に三平の名跡を襲名させるまでに至った。そして、泰孝の二人の息子も「林家たま平」(長男:泰良、二ツ目)と「林家ぽん平」(次男:泰宏、前座)の新たな「海老名兄弟」として、それぞれ曽祖父から続く四世落語家の道を歩んでいる。一方で一門の惣領弟子として守り続けてきたこん平は、上述のストレスや過度の飲酒から2004年8月に多発性硬化症を発症し入院。初回から出演していた『笑点』降板を余儀なくされた(後任は弟子の林家たい平が就任)。こん平はその後リハビリを行い回復はしたものの、高座復帰が出来る体調までは戻らず、落語家としては事実上のリタイア状態となり2020年12月に死去した。こん平が倒れた後に実施された前述した海老名兄弟の正蔵・三平襲名の後見は8代目正蔵の弟子でこん平とは『笑点』で共演していた林家木久扇が行っている。 毎年8月31日の浅草演芸ホールの余一会は「初代林家三平追善興行」が昼夜を通して組まれることが恒例となっており、色物や孫弟子も含む三平一門の弟子がほぼ総出演する一門会となっており、孫弟子として一門に名を連ねた三平の孫のたま平(泰良)とぽん平(泰宏)の兄弟も毎年出演している。病により事実上休業状態だった一門の惣領弟子であるこん平も亡くなる2年前(2018年)まで「ご挨拶」という形で出演していた。また、三平の直弟子は年齢的な面でも徐々に一門会への出演者が減ってきており、(三平死去に伴い移籍した者以外の)こん平や正蔵などに入門した孫弟子、さらに曾孫弟子の出演者の割合が増えてきている。40回目を迎えた2021年は昼の部は九代目正蔵(泰孝)、夜の部は二代目三平(泰助)が主任(トリ)を務めている。 また、三平の「下ネタは芸を腐らせるもの」という考え方も、一門の伝統として受け継がれている。三平の没後久しい現在でも、三平門下は元より孫弟子に当たる者達まで三平系列に属する芸人の殆どが、「三平一門の不文律」として下ネタを避けている事は芸能界でも有名である。実際、このために9代正蔵(当時こぶ平)はWAHAHA本舗の旗揚げ公演時のメンバーでありながら、早々に脱退する事になった。ただし、希有な例外として、こん平が『笑点』の大喜利で時折出していた「肥溜めに落っこちた」などの肥溜めネタがある。また、三平本人も「性教育」「感じやすいの」などのような性を連想させるネタをいくつか持っている。ただし前者は「こん平=田舎者の権助」という大喜利でのキャラクター要素の一つの象徴としての田舎者ネタとしての意味合いが強く、後者は性とは一切関係のない内容のオチがついているものがほとんどなため、下ネタとは方向性や意図が大きく異なるものともいえる。
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