ななつでら 【七寺】
長福寺 (名古屋市中区)
七寺(七院)
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阿弥陀院宗光寺(あみだいんしゅうこうじ) 浄土宗。廃寺。栄町の北、西之門町の西にあり、大本願住職の隠居寺であった。1847年(弘化四年)の善光寺地震で焼失し、敷地のみとなり民有地となったが、1880年(明治13年)に寺号も廃止となった。栄町の旧名、阿弥陀院町の由来となっている。 光明院妙観寺(こうみょういんみょうかんじ) 宗派不明。廃寺。1683年(天和3年)の『善光寺境内図』には現在の横沢町の北あたりに「此所妙観畑ト云」と記してあり、そのあたりにあったと思われる。1581年(天正9年)上杉景勝が善光寺大勧進別当に補任している。そのほかの寺歴は不明である。 本願寺長野別院(ほんがんじながのべついん) 浄土真宗本願寺派。西後町にある。開基は三登山の城主若槻石見守の次男重勝で、1191年(建久2年)に創建したとされる。当時は若槻東条にあったが、1626年(寛永3年)に現在地に移る。1925年(大正14年)に本願寺長野別院となるまで正法寺と号していた。また一説には、妻科村(現妻科地区)にあった太子観音堂であるともされる。昭和5年(1930年)出版の『善光寺小誌』には、長門町の天満宮のその旧跡があったとする。 往生院(おうじょういん) 浄土宗。権堂町にある。1199年(正治元年)法然上人の善光寺参詣の際、蓮池のそばに草庵を結んだのが始まりで、往生院と号した。のち1279年(弘安2年)に浄土宗第3祖記主禅師が宗祖法然の遺徳を慕い、堂宇を建て、法然を開基とした。 時丸寺(じがんじ) 曹洞宗。三輪八丁目にある。伝説的には大和国の三輪時丸の開基だという。歴史的な記録には永暦年中(1160年〜1161年)に加賀国大乗寺の通告和尚が住持し大乗寺と号し、元文年間(1736年〜1741年)には押鐘の盛伝寺志道和尚が住持している。明和年間(1764年〜1772年)に佐治木長次郎が師である盛伝寺異中隆玄大和尚を開山とし、観音寺と改めた。1866年(慶応2年)の火災後、1871年(明治4年)の再建時、時丸寺と改号し現在に至る。 十念寺(じゅうねんじ) 浄土宗。西後町にある。1195年(建久5年)に源頼朝が寺域を寄進したのが始まりとも、1197年(建久8年)に僧念阿良慶が開基とも、一願阿聖が開基とも伝わる。寛永年間(1624年〜1645年)に寛慶寺住職円誉秀甫が入寺し重興となり現在に至る。 正覚院(しょうがくいん) 真言宗智山派。安茂里大門にある。859年(天安2年)に比叡山延暦寺住職円仁慈覚大師が天台宗月輪寺として開山したと伝わる。1615年(元和元年)、西後町にあった高野山龍光院末正覚院と合併し真言宗に改め中興となる。 無常院(むじょういん) 浄土宗。安茂里小市三丁目にある。1048年(永承3年)天台宗として誓林坊が開山した。1574年(天正2年)、または1559年(永禄2年)に慶誉上人によって堂宇を再建し中興となる。 明行寺(みょうぎょうじ) 浄土真宗大谷派。権堂町にある。1573年(天正元年)に僧秀應によって開基された。1902年(明治35年)に圭夫師が入寺し中興となる。
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