リアル・リアリティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 06:49 UTC 版)
ケータイ小説を語る上で、「リアル」「リアリティ」といった言葉が頻繁に用いられている。 前述のようにリアル系ケータイ小説の内容は主人公の女性に不幸な出来事が連続的に降りかかるものが多く、一般的な大人の感覚からすれば非現実的な「リアリティの無い話」のように感じられるが、読者からはケータイ小説の魅力は実話をベースとした「リアル」な話であることだとされている。つまり、ケータイ小説は一部の読者層にのみ共有されるような「限定的なリアル」によって成り立っているのだと説明されることもある。 速水健朗は、ケータイ小説における「リアル」について、それは単に「実話である」と謳うか謳わないかというだけのことであるとしている。実際、例えば『Deep Love』の著者のYoshiは、作品の一部を読者からもらったメールを元に構成したとしており、『恋空』や『赤い糸』・『天使がくれたもの』でも「フィクションである」という断りをいれながらもそれぞれ「実話を元にした」「本当の話でもある」「わたしの体験談である」ような物語であるとされている(『恋空』や『赤い糸』の主人公の名前はそれぞれ美嘉・芽衣であるが、作者のペンネームはそれと同じ美嘉・メイとなっている)。そのため、そういったケータイ小説は私小説(作者の実体験を題材とする小説)であると考えることもできるが、私小説は作者の実体験がモデルであったとしても作者と主人公は別の視点に切り離されて読まれるという前提があるのに対し、ケータイ小説では前述のように作者名と同一の名前の主人公が設定されていることがあり、私小説とも異なる印象を与える面がある。『恋空』のように、事実であるとうたわれているにもかかわらず作品中に不合理な点があるとして、その真実性を疑問視されて批判が行われることもあり、これも従来の小説では考えられないことである。泉子・K・メイナードは私語りは私小説と異なり、語る側の自由さがある方法で各登場人物の視点でリレーして語ることもでき、それは決まった視点の私小説ではなく、自由さにより声の重複が可能で複数のキャラ的特性を覆い、ケータイ小説は新たな私的小説、一人称小説だとしている。またケータイ小説は私小説のような強烈な作家性もない。 ケータイ小説が「実話をベースにした作品」と称して発表されることが多い背景には、魔法のiらんどなどの携帯用ホームページ作成サイトには日記投稿機能と小説投稿機能の両方があり、ブログの延長として小説をかくという面があると考えられる。多くのケータイ小説家は同様にはじめは小説を書くというより自分の体験を日記に書き留めていくような感覚で執筆したと述べている。 児童文学評論家の赤木かん子によると、ケータイ小説が誕生し受け入れられていった背景として、1990年代末の「リアル系」というジャンルが挙げられるという。これは井上路望の『十七歳』などをきっかけとして生まれた、10代の作者が半生をつづったノンフィクション作品である。また、1990年代後半以降には、飯島愛の『プラトニック・セックス』や大平光代の『だから、あなたも生きぬいて』のように、十代の頃の過酷な生い立ちを大人が振り返って告白する自伝がベストセラーとなっており、ケータイ小説と似たような傾向が見られる。 米光一成は、リアル系ケータイ小説が少女に「リアル」と受け止められる理由を次のように説明している。それによると、リアル系ケータイ小説の内容・文体の特徴の多くは例えば1966年創刊の雑誌『小説ジュニア』などに掲載されていた少女向け小説ですでに見られるものであり、リアル系ケータイ小説にみられる「(内容・文体ともに)社会的に正しくない」という特徴以外は新しいものではない。当時の少女向け小説は「大人(主に男性)が書く→大人が修正する→少女に届く」という構図であったが、これが女性作家の登場によって「少女に近い人が書く→大人が修正する→少女に届く」という構図に変化し、さらにケータイ小説の登場によって大人が修正するというプロセスが欠落し、「少女が書く→直接少女に届く」という構図になった。これによって従来では修正を余儀なくされていた「社会的に正しくない」ような内容や文体が出現し、大人が押し付ける社会的な正しさが剥奪されたことによって、少女たちにとっての「リアルさ」が保障されたのだという。 飯田一史は『小説ジュニア』や後述の『ティーンズロード』よりもずっと前の大正時代に性や犯罪など実話を告白するものが多かった読者投稿欄、噂や覗き見的な好奇心で誘引するある人物の実話からきているとされるモデル小説を掲載する雑誌は存在しており、大塚英志の言う、明治30年代以降の投稿雑誌が「書く読者」生み出し、時代が変わってもその反復が起きているとの指摘と同じだとしている。 不良、暴走族ものについては街を守るヒーローが正統派暴走族で犯罪行為はほとんどせず自警団のようで暴走族とは名ばかりに暴走どころかバイクに乗らない作品もあり、筆者は実際に不良がバイクに乗っているのを見たわけではなく族メンバーにハッキング担当がいることもあるため「空想ヤンキーもの」とされたり、彼らはヤンキーではなく暴走族の総長で筆者や読者にとってリアルな存在ではなく空想で作り上げる非日常の存在になっているのである。
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