ラメント、講話、対話、預言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 14:54 UTC 版)
「古代エジプト文学」の記事における「ラメント、講話、対話、預言」の解説
中王国の「預言的テクスト」のジャンルは「ラメント」(嘆き)、「講話」、「対話」、「啓示文学」などとしても知られ、『イプエルの訓戒(英語版)』、『ネフェルティの予言(英語版)』、『生活に疲れた者の魂との対話』のような作品が含まれる。古王国にはこのジャンルの先例はなく、また新王国で新たに作成された例も知られていない。しかしながら、『ネフェルティの予言(英語版)』のような作品は新王国のラムセス時代に頻繁に筆写されており、この中王国のジャンルは正典化されたが継続はされなかった。エジプトの預言文学はギリシアのプトレマイオス朝およびローマの属州時代のエジプトにおいて、『デモティックの年代記(ドイツ語版)』、『羊の神託(英語版)』、『陶工の神託(英語版)』、およびネクタネボ2世(治世:紀元前360-343年)を主人公として焦点を当てた2つの預言的テクストなどで復活を見た。「教訓」テクストと共に、こうした思索的講話(キーワードは mdt)は古代中東の知恵文学の一部と分類される。 中王国のテクストにおいて共通するテーマには厭世観、社会と宗教の変化の記述、国全土の大きな混乱などがあり、これらは統語論的に「昔は……今は……」という定型的な韻文の形を取る。これらのテクストは「ラメント」と称されるのが普通であるが、『ネフェルティの予言(英語版)』はこのモデルから逸脱し、困難な世界状況に前向きな解決を与えている。『ネフェルティ』は第18王朝以降の写ししか残存していないが、その明らかに政治的な内容から、もともとはアメンエムハト1世の治世下もしくはそのすぐ後に書かれたものであろうとパーキンソンは主張している。シンプソンはこれを、アメンエムハト1世が第11王朝のメンチュヘテプ4世から王位を簒奪して創設した第12王朝の「〔……〕新体制を支持するよう意図されたあからさまな政治的パンフレット」であると呼んでいる。この物語調の講話において、第4王朝のスネフェル(治世:紀元前2613-2589年)は賢人・講師・神官であるネフェルティを王宮に召喚する。ネフェルティは国が混乱の時代——エジプト第1中間期を仄めかしている——に突入するが、正義の王「アメニ」によってかつての繁栄を取り戻すであろうという預言をして王を楽しませる。古代エジプト人は「アメニ」の名をすぐにアメンエムハト1世であると理解したであろう。動乱の世が救世主たる王により黄金時代へと変わるという同様のモデルは『羊』や『陶工』などでも採られているが、ローマによる支配下にあった受け手にとって、救世主はまだ訪れていない存在であった。 『イプウェルの忠告』は第12王朝時代に書かれたものであるが、第19王朝のパピルスとしてしか残存していない。一方で、『生活に疲れた者の魂との対話』は第12王朝のオリジナルのパピルス(パピルス・ベルリン3024)が発見されている。これら2つのテクストは他の講話と文体、口調、主題などの面では似通っているが、対話のやりとりにおいて架空の聴衆に非常に活発な役割が与えられているという点で他から際立っている。『イプウェル』では、賢者が名前のない王とその従者に語りかけ、国の悲惨な状態を描写し、それは王が王に相応わいい美徳を保てていないからであると非難する。これは王たちへの警告とも受け取れるし、また以前の混乱していたとされる時代と対比させることで現在の王朝を正当化したものとも受け取れる。『魂との対話』では、男が自分の「バー」(エジプト人の魂の構成要素)と、絶望のうちに生き続けるべきか、それとも悲惨から逃れるために死を求めるべきかをめぐり交した会話を聴衆に物語る。
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