モーツァルト:ピアノ協奏曲 第12番 イ長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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モーツァルト:ピアノ協奏曲 第12番 イ長調 | Konzert für Klavier und Orchester Nr.12 A-Dur K.414 K6.385p | 作曲年: 1782年 |
楽章・曲名 | 演奏時間 | 譜例![]() |
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1 | 第1楽章 Mov.1 Allegro | 10分00秒 | No Image |
2 | 第2楽章 Mov.2 Andante | 7分30秒 | No Image |
3 | 第3楽章 Mov.3 Allegretto | 6分30秒 | No Image |
作品解説
ヴィーン定住後の最初のピアノ協奏曲。1782年末から翌年にかけて立て続けに作曲された第11~13番の中で、この第12番がもっとも早く生み出されたと考えられている。初演はこのシーズンの予約演奏会において。
この時期のモーツァルトの書簡(1782年12月28日)によれば、彼のピアノ協奏曲は「むずかしすぎず易しすぎず、音楽通はもちろん、そうでない人もなぜだか満足」できるように作られているという。そのことば通り、この時期の3つのピアノ協奏曲はシンプルな構成で耳に快く、充実した内容をもっている。また、管楽器抜きの弦楽四重奏編成でも演奏できるよう仕上げられている点でも共通している。この第12番の編成は、独奏ピアノの他には、オーボエとホルンが2本ずつ、そして弦4本という小さなものである。
ピアノ協奏曲というジャンルは、社交的で華やかな作品として、モーツァルトの演奏会において効果的なレパートリーであった。また、作曲と演奏の両方を披露できるという点でも、ヴィーンにおけるモーツァルトの名声の確立に大きな役割を果たしたのであろう。この後、彼の人気の上昇とともにピアノ協奏曲の数も増えてゆくことになるのだが、この作品はそのきっかけになったともいえるだろう。
各楽章にはモーツァルト自身によるカデンツァが2種類ずつ、また第2楽章にはアインガングも2種類残されている。
第1楽章:アレグロ、イ長調、4/4拍子。協奏的ソナタ形式。ヴィーンの社交界デビューにふさわしい明るさと伸びやかさ、そして華麗さを備えた楽章。ピアノは楽章を通して主導的に活躍する。
第2楽章:アンダンテ、ニ長調、3/4拍子。小規模な協奏的ソナタ形式。抒情的な第1主題に続く第2主題は、前楽章の第1主題と似通っている。調も同じイ長調となる位置に配置されている点が興味深い。
第3楽章:ロンド。アレグレット、イ長調、2/4拍子。ロンド形式。軽快なロンド主題からの素材がエピソードに取り込まれているほか、2つのエピソードが互いに関連しているなど、同じ素材が何度も現れるため、親しみやすい楽章である。
ピアノ協奏曲第12番 (モーツァルト)
(ピアノ協奏曲第12番 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 03:31 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ピアノ協奏曲第12番 イ長調 K. 414 (385p) は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1782年に作曲したピアノ協奏曲。
第3楽章の別稿と考えられている『ピアノと管弦楽のためのロンド イ長調 K. 386』についても解説する。
概要
本作を作曲する前年、モーツァルトは雇い主であったザルツブルク大司教のヒエロニュムス・コロレド伯と訣別し、ウィーンに活動の拠点を移したモーツァルトが1782年の秋に作曲し、自ら主宰した予約演奏会で初演した3つのピアノ協奏曲(第11番、第13番)のうちのひとつで、3つのうちで最初に書かれたものであると考えられており、1782年の秋頃にウィーンで作曲された。モーツァルトはそれまでピアノ協奏曲の分野から3年から5年ほど遠ざかっていたが、ウィーンにおける音楽活動の主柱となった予約演奏会によって、以後モーツァルトはピアノ協奏曲を継続的に作曲していった。本作の完成後に、同時に出版を考えて広告まで掲載されているが、実際の出版は1785年になってからのことだった。
3曲とも、自身の手紙では「易しすぎもせず、難しすぎもしない」と書かれていることから、一般の聴衆向け、あるいは楽譜の購入者への配慮が見られる。
楽器編成
曲の構成
全3楽章、演奏時間は約24分。作曲者によるカデンツァが残されており、弦楽四重奏のみの伴奏でも可能である[1]。
- 第1楽章 アレグロ
- 第2楽章 アンダンテ
- 第3楽章 ロンドー:アレグレット
- イ長調、4分の2拍子、ロンド形式。
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- 本作と同時期に作曲された『ピアノと管弦楽のためのロンド イ長調』(K. 386)は、同じ調性で書かれていることなどからこの第3楽章の別稿として作曲されたという説があるが、これについては諸説ある(下記)。
ピアノと管弦楽のためのロンド イ長調 K. 386
ピアノと管弦楽のためのロンド イ長調 K. 386 は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1782年10月19日にウィーンで作曲した、ピアノと管弦楽のための作品。『コンサート・ロンド』とも表記される。
概要
作曲された日付はモーツァルト自身の手によって自筆譜に記されたものであり、これは第11番から第13番までのピアノ協奏曲を作曲した時期とほぼ同じであるが、生前には出版されず、楽譜の出版自体はモーツァルトが亡くなった後である。モーツァルトの死後、未亡人となった妻コンスタンツェは、ゲオルク・ニコラウス・ニッセンと共にモーツァルトの作品全集を出版するべくブライトコプフ・ウント・ヘルテル社と交渉するが上手くいかず、結果的にこのロンドの自筆譜は、1799年11月8日にヨハン・アントン・アンドレがモーツァルトのその他膨大な数の作品と共に買い取っている[2]。しかし、アンドレがこのロンドの自筆譜を買い取った際には最後のページが欠落していたため、アンドレはこのロンドを出版せず、イギリスの作曲家であるウィリアム・スタンデール・ベネットへ売却した。その後、ベネットの作曲の師匠であるチプリアーニ・ポッターが、欠落した最後のページを補筆しピアノ独奏用に編曲したものが1838年にロンドンで出版されたため、その後しばらくはピアノ曲として広まることになったが、不運なことにその後、このロンドの自筆譜がバラバラにされ散逸してしまった。
ピアノ協奏曲の形としては、モーツァルトの研究で著名な音楽学者のアルフレート・アインシュタインが、その当時現存していた2ページ分(第136~171小節)の自筆譜と、ポッターによるピアノ独奏版を照らし合わせて編曲し直したものが1936年に出版されたことを皮切りに、イギリスの音楽学者であるアレクサンダー・ハイアット・キングが、1956年までにイギリスで6枚の自筆譜を発見し、これに加えてさらに1枚と断片が見つかった(第1~78、118~132、136~171小節)ため、これを基にオーストリアのピアニストであるパウル・バドゥラ=スコダとオーストラリアの指揮者チャールズ・マッケラスが新たに校訂し直したものが、1963年に新モーツァルト全集として出版された。
さらに1980年には、イギリスの音楽学者であるアラン・タイソンが、大英博物館に保管されていたフランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤーの手稿譜の中から、紛失したと思われていたこのロンドの最後のページを偶然発見し、これによってこのロンドの全容が明らかにされた。
ポッター編曲版を参考にしたアインシュタイン版による録音はアニー・フィッシャーとフェレンツ・フリッチャイによって録音された音源(1959年)などの古い録音で聴くことができ、また1980年に再発見された作曲者自身によるオリジナルの終結部はマレイ・ペライアやマルコム・ビルソンなどが録音した音源で聴くことができる。
アインシュタインはこのロンドを、ピアノ協奏曲第12番の第3楽章の別稿として作曲されたものと考えており、「モーツァルト全作品事典」を編纂したニール・ザスローもこの説を支持しているが、この曲がロンドだけで十分に完結していることや、自筆譜の最初のページにモーツァルト自身によってタイトルや日付が記されていること、また第12番が伴奏を弦楽四重奏でも演奏できるようにチェロとコントラバスを同一のパートにしているのに対し、このロンドではチェロが独立して書かれているため弦楽四重奏では演奏できないことなどから、タイソンはこのロンドを、当初は第12番の第3楽章にするつもりだったものの、最終的には独立した作品へ仕立てようとしたのではないかと推測している。
また、自筆譜も現在では再び各地に散らばっており、そのうち9ページ目(第155~171小節)が海老沢敏によって東京の日本モーツァルト研究所に保管されている[3]。
曲の構成
アレグレット、イ長調、4分の3拍子、ロンド形式。演奏時間は約8分。
脚注
- ^ “Jean-Philippe Collard Mozart: Piano Concertos 6, 8, 11-14”. www.allmusic.com (2018年9月28日). 2018年9月28日閲覧。
- ^ Tyson 1987, pp. 262–289
- ^ NMA V/15/8: Critical Report
外部リンク
- ピアノ協奏曲第12番 イ長調 K. 414 (385p)の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
- ピアノと管弦楽のためのロンド イ長調 K. 386の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
- ピアノ協奏曲 第12番 イ長調 K.414 (385p) - Mozart con grazia
- ピアノと管弦楽のためのロンド イ長調 K.386 - Mozart con grazia
- 『新モーツァルト全集』におけるKonzert in A KV 414 (386a; KV6: 385p)の楽譜及び校訂報告 (ドイツ語)
「ピアノ協奏曲 第12番」の例文・使い方・用例・文例
- ピアノ協奏曲
- その曲はピアノ協奏曲に編集された。
- 6月21日の本選で,上原さんはチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」とラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」を演奏した。
- そのとき,彼女は偶然,ラヴェルのピアノ協奏曲を聞き,自分と千秋(玉(たま)木(き)宏(ひろし))が舞台でその曲を一緒に演奏している姿を想像する。
- 千秋は彼女がショパンのピアノ協奏曲を演奏するのを見るためにはるばるプラハまで行く。
- 内田さんはクリーブランド管弦楽団と共演したモーツァルトのピアノ協奏曲の演奏で最優秀器楽ソリスト演奏(オーケストラとの共演)賞を受賞した。
- 浅田選手は,ショートプログラムではショパンのノクターンのうちの1曲,フリーではラフマニノフのピアノ協奏曲第2番に合わせて演技すると述べた。
- フリーについて,浅田選手は「私はラフマニノフのピアノ協奏曲がとても好きです。」と述べた。
- 翌日のフリーでは浅田選手はラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」に合わせて滑った。
- ピアノ協奏曲第12番のページへのリンク